「脳力」は「健康力」の常識を変えている
オタピー ラプソディーで言う「健康」とは、身体的(physical)、社会的(social)、心理的(psychological)、精神・心霊的(spiritual)に良好といえる状態を意味します。
巷では、よく聞く言葉に、「健康に良い」があります。
しかし、何を意味しているかが、よく判らないことが多いのです。
WHO〈世界保健機構〉の言う、健康とは、上述した概念を意味していると思います。
それ故に、日常茶飯の会話に合って、「健康に良い」との言葉を聞いた時には、何時も、私は、「如何なる意味での健康」を話題としているかに、「脳力」を働かせることにしているのです。
日本語は、大変、美しく、素晴らしい言葉だと思います。
言葉が含む、含蓄。
会話での間。
顔での微妙な表現。
手による表現。
いずれにあっても、お互いの意思疎通に通じます。
そうした、日本文化的代表として、日本語があると思います。
しかしながら、意味不明瞭となることが、決して少なくありません。
時に、曖昧な表現によって、すれ違わせていることが少なくありません。
伝統的な日本文化と言えば、和歌、俳句、源氏物語のような小説、絵巻・漫画、日本画・浮世絵。
能、茶の湯、料理・和菓子、建築・造園、盆栽。
色々、国際的評価を得られる可能性が高い日本文化を取り上げることが出来ます。
コントのペアー・『ラーメンズ』の小林賢太郎、片桐仁の「TEXT]を観たとき、彼らは、マサニ、現代に在って、日本文化のエセンスを明確に把握した上での日本文化の創生に通ずる演技と感心しました。
ただ、伝統、伝統と表面的・形骸的な日本文化としてではなく、日本文化の創生・発信者として、芸術性を発揮する重要なグループ、人物と、注目の限りです。
しかしながら、現実は、優れた文化を内包しながら、グローカルな文化として、グローバルな評価となって、普及を見ているものは、少ないのが現実と言えます。
その一つのパラメーターは、評価の内外格差の激しさから窺うことができます。
つまり、国際基準となるような、日本文化が評価を得ているものが、あまり、多くないということです。
例えば、国内で、バカのような値段がついても、国際的には、低い値段の評価となっているものが多いことです。
国際社会にあって、GDPレベルで、世界第二位の地位に、長年君臨しながら、文化・文明的な地位・評価は高くないのは、歴史的に言って、極めて、珍しいといえます。
何故かと考える必要があります。
「健康力」とは、人が生きる森羅万象を内包します。
そこで、「能力」を磨くことによって、「健康力」を征しましょう。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、『「能力」でメタボリックシンドロームを予防する・・1』を話題としています)
(楽天、ミクシイでは、『「脳力」は「素肌美力」、「抗加齢力」に通ず・・1』を話題としています)
(はてな日記では、『オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・茶礼の喫茶・・夢窓疎石』を話題としていま)
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