何故に、高脂血症の病名は消え、
血中総コレステロール値は診断基準から削除されたか・・3・・
米国人と日系ハワイ人男性のコレステロール値と死亡率
MRFITといわれる米国人男性35万以上(35~57歳)を対象とした総コレステロール値と死亡との関係を観察した疫学調査があります。
12年間も追跡して、2万五千人ほどの死亡を観察しています。
もう一つ、米国人の日系ハワイ男性で8千人近い人達を血中コレステロール値と死亡を対象として、18~21年追跡して、2千人以上の死亡を観察した疫学調査があります。
それぞれの結果を概観したいと思います。
話題の大櫛陽一著「検査値と病気 間違いだらけの診断基準」(太田出版、2006年)のpp.105~109に上手くまとめてあります。
その本を参考にしてお話します。
MFRITです。
心血管系疾患での総コレステロールレベルとその死亡リスクでは、コレステロール値が240mg/d(以後・mg/dlは省略)l以上で上昇して、160にかけて死亡リスクは減少しました。
それに、ガン死とその他、感染症などでの死亡を追加しますと死亡率は様相は穏やかとはいえません。
つまり、ガン死は240以上で減少して199以下で上昇に転じ、160以下では1.3倍の増加となりました。
その他の感染症、事故・自殺、脳出血などによる死亡にあっては、やはり、199以下で上昇に転じ、160以下では1.6倍以上の増加となったのです。
その結果として、全体の相対死亡率は、コレステロール値200~239を基準とすると1.2倍ほど増すとなります。
次に、日系ハワイ人男性のデータはつぎのようです。
冠動脈疾患、つまり、心筋梗塞死は、コレステロール値が230mg/dl(以後mg/dlは省略)以下ではほぼ横ばいでした。
ガン死は、コレステロール値が270に比して、180以下では二倍以上の死亡率となりました。
そして、冠動脈疾患、ガン、事故、その他の原因による総死亡率は、死亡が最低となる210~239に比して、180以下では1.3倍ほどの増加となったのです。
また、180以下でのガン死は冠動脈心疾患死に比して、3.8倍ほど多いのです。
つまり、血中コレステロール値が180以下の低コレステロール値のよる死亡の方が、総死亡で判定すると危険が高いということです。
この結果は、既に取り上げました、我が国のJ-LIT研究と同様の傾向を示していると判ります。
これでは、低コレステロールの意味を問い直す必要があるのは当然と言えます。
その他の国内調査についても、次回取り上げましょう。
(楽天ブログ、ミクシィに、本日は「低コレステロール血症の原因となる疾患・・3」を書いています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに、本日は「高コレステロール治療ガイドライン・・3」を書いています)
茶の湯文化は日本のグローカル文化で日常茶飯の総合生活文化。しかし、茶道は様式化の故に日常茶飯から遊離をしている。オタピィー茶の湯は今日的な日常茶飯にあって、ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャとの界を紛らかす前衛性の精神を大切に茶の湯を楽しまんとするもの。 志、創意、俯瞰性を大切にする。 ローコレステアラームは低コレステロールの危険性に注目したサプリメント。 国民的な“高コレステロール病”は、高脂血症の病名は消え、脂質異常症と変わり、診断基準からコレステロール値は除外されたことにより認識を改めるべき時。低コレステロールの方が問題との話題を提起する。 オタピー茶の湯 & ロコレステアラームでは既成概念に対して、俯瞰的に茶の湯及びコレステロールについて考える。
Thursday, May 17, 2007
Wednesday, May 16, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・4
何故に、高脂血症の病名は消え、
血中総コレステロール値は診断基準から削除されたか・・3・・
日本人の血中コレステロール値と死亡率
我が国は、心臓病死は、前述しました如くに少ないのにもかかわらず基準値としての正常範囲を心臓病の多い西欧が240mg/dlに対して、220mg/dlと低く定めていました。
2004年の血中総コレステロール値が220~239mg/dlの範囲にある人は、男性で、14.9%、女性で17.4%に及びます。
つまり、コレステロール低下薬の対象が増えることになるのです。
しかしながら、JーLIT研究では、年間千人当たりの総死亡率は220~239mg/dlで最低であり、200~259mg/dlの範囲で、死亡相対危険度では変わりはありません。
死亡相対危険度が増すのは、260mg/dl以上からなのです。
逆に、血中総コレステロール値が200mg/dl以下で死亡危険度は増し、180mg/dl以下になると最低の相対危険度を示した220~239md/dl比して2.7倍も増したのです。
ガン死は、2.5倍も増えたのです。
肝心の心筋梗塞梗塞死は血中総コレステロール値が200~240mg/dlでは、有意差のあるような増減は認められてませんでした。
こうした傾向は、本日の楽天ブログで取り上げましたNIPPON研究を始めとする国内各地域での調査でも認められています。
以上より、ガン、心臓病も含めた総死亡率から判断すると、血中コレステロール値の高値による危険は260mg/dl以上となると判ります。
一方、低値の血中コレステロール値の危険は、200md/dl以下で、取り分け、180mg/dl以下では有意の危険だと明らかです。
既に、Dr.BEAUT・ソフィーリッチの 「低コレ & ローコレ日記」に取り上げましたように我が国の低コレステロールを示す人達の示す%は、高コレステロールを示す人達の示す%よりハルカニ多いのです。
(楽天ブログ、ミクシに「低コレステロール血症の原因となる疾患・・2」を書いています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに「高コレステロール治療ガイドライン・・2」を書いています)
血中総コレステロール値は診断基準から削除されたか・・3・・
日本人の血中コレステロール値と死亡率
我が国は、心臓病死は、前述しました如くに少ないのにもかかわらず基準値としての正常範囲を心臓病の多い西欧が240mg/dlに対して、220mg/dlと低く定めていました。
2004年の血中総コレステロール値が220~239mg/dlの範囲にある人は、男性で、14.9%、女性で17.4%に及びます。
つまり、コレステロール低下薬の対象が増えることになるのです。
しかしながら、JーLIT研究では、年間千人当たりの総死亡率は220~239mg/dlで最低であり、200~259mg/dlの範囲で、死亡相対危険度では変わりはありません。
死亡相対危険度が増すのは、260mg/dl以上からなのです。
逆に、血中総コレステロール値が200mg/dl以下で死亡危険度は増し、180mg/dl以下になると最低の相対危険度を示した220~239md/dl比して2.7倍も増したのです。
ガン死は、2.5倍も増えたのです。
肝心の心筋梗塞梗塞死は血中総コレステロール値が200~240mg/dlでは、有意差のあるような増減は認められてませんでした。
こうした傾向は、本日の楽天ブログで取り上げましたNIPPON研究を始めとする国内各地域での調査でも認められています。
以上より、ガン、心臓病も含めた総死亡率から判断すると、血中コレステロール値の高値による危険は260mg/dl以上となると判ります。
一方、低値の血中コレステロール値の危険は、200md/dl以下で、取り分け、180mg/dl以下では有意の危険だと明らかです。
既に、Dr.BEAUT・ソフィーリッチの 「低コレ & ローコレ日記」に取り上げましたように我が国の低コレステロールを示す人達の示す%は、高コレステロールを示す人達の示す%よりハルカニ多いのです。
(楽天ブログ、ミクシに「低コレステロール血症の原因となる疾患・・2」を書いています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに「高コレステロール治療ガイドライン・・2」を書いています)
Tuesday, May 15, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・3
何故に、高脂血症の病名は消え、血中コレステロール値は
診療指針から削除されたか・・2・・
血中コレステロール値と死亡率
血中総コレステロール値については、現在、我が国では、事実誤認に基づくと言える国民的な“高コレステロール恐怖症”と言って良い状況にあります。
我が国の心筋梗塞による死亡は、欧米に比して、1/2~1/10に過ぎません。
それなのに、“赤ワインは心臓病に良い”とフランスのように5倍ほど多いような国のワイン販売商法のキャッチコピィーといってよいような言葉に群がって、 “アルコールを飲む口実”として利用されているように思えてきます。
現在、日本人の心疾患の死亡率は1970年以後に入って低下傾向にあります。
脳血管疾患は1965年前後にかけてピークとなり、その後は急速に減り、今日でも低下傾向となっています。
一方、日本人の食生活は西欧化が進んで、1946年(昭和21年)から2004年(平成16年)にかけての58年間で、脂質摂取量は、14.7グラムから54.1グラムに増えています(3.7倍)。
国民的な総コレステロール値についての調査は、1997年(平成9年)から2004年(平成16年)にかけて報告されています。
男性の平均では、198.6mg/dlから、199.1mg/dl 。
女性の平均では、205.1mg/dlから207.1mg/dl。
つまり、特別に高コレステロール血症の人は増加しているとはいえません。
また、血中総コレステロール値が、欧米の正常範囲を超える240mg/dl以上の推移では、男性では1997年が10.5%、2004年では12.1%です。
女性では、1997年が17.4%、2004年では17.8%でした。
以上の事実は、脂質摂取量の増加が、心疾患死を増やしているとは言えず、血中コレステロール値は、十分な期間のデータとはいえませんが、変わっているとはいえません。
一日のコレステロール必要量の内、食物から摂取する依存は20%に過ぎませんから、脂質摂取量はほとんど影響しないのも当然です。
(楽天ブログ、ミクシに「低コレステロール血症の原因となる疾患・・1」を書いています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに「高コレステロール治療ガイドライン・・1」を書いています)
診療指針から削除されたか・・2・・
血中コレステロール値と死亡率
血中総コレステロール値については、現在、我が国では、事実誤認に基づくと言える国民的な“高コレステロール恐怖症”と言って良い状況にあります。
我が国の心筋梗塞による死亡は、欧米に比して、1/2~1/10に過ぎません。
それなのに、“赤ワインは心臓病に良い”とフランスのように5倍ほど多いような国のワイン販売商法のキャッチコピィーといってよいような言葉に群がって、 “アルコールを飲む口実”として利用されているように思えてきます。
現在、日本人の心疾患の死亡率は1970年以後に入って低下傾向にあります。
脳血管疾患は1965年前後にかけてピークとなり、その後は急速に減り、今日でも低下傾向となっています。
一方、日本人の食生活は西欧化が進んで、1946年(昭和21年)から2004年(平成16年)にかけての58年間で、脂質摂取量は、14.7グラムから54.1グラムに増えています(3.7倍)。
国民的な総コレステロール値についての調査は、1997年(平成9年)から2004年(平成16年)にかけて報告されています。
男性の平均では、198.6mg/dlから、199.1mg/dl 。
女性の平均では、205.1mg/dlから207.1mg/dl。
つまり、特別に高コレステロール血症の人は増加しているとはいえません。
また、血中総コレステロール値が、欧米の正常範囲を超える240mg/dl以上の推移では、男性では1997年が10.5%、2004年では12.1%です。
女性では、1997年が17.4%、2004年では17.8%でした。
以上の事実は、脂質摂取量の増加が、心疾患死を増やしているとは言えず、血中コレステロール値は、十分な期間のデータとはいえませんが、変わっているとはいえません。
一日のコレステロール必要量の内、食物から摂取する依存は20%に過ぎませんから、脂質摂取量はほとんど影響しないのも当然です。
(楽天ブログ、ミクシに「低コレステロール血症の原因となる疾患・・1」を書いています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに「高コレステロール治療ガイドライン・・1」を書いています)
Tuesday, May 08, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・2
何故に、高脂血症の病名は消え、
血中コレステロール値は診療指針から削除されたか・・1
アメリカの国立心臓血管研究所によるアメリカ国民の36万人を越える人達を対象とした疫学研究MRFIT(Multiple Risk Factor Intervention Trial)(1986年に論文発表)によって、血中コレステロール値が192mg/dl以下で、ガン死、脳出血、感染症、外傷その他による死亡が増すとの事実は報告されていました。
そして、我が国でも、そうした疫学的事実は研究され、発表されていました。
しかし、“高コレステロール病”の前に、そうした「低コレステロールの危険」と言う事実は、あまり、周知されることなく、今日に至っているとも言えます。
それでも、今回、日本動脈硬化学会も、改めざる負えなくなったというのが現実ですが、マダマダ、“高コレステロール神話”は、あまり、積極的に改めようとの姿勢が乏しいのが現実です。
我が国の日本動脈硬化学会は、既に、1997年に定められた「高脂血症診断ガイドライン」を改定して、「動脈硬化性疾患診断ガイドライン2002年版」を発表しています。
そこで、既に、血中コレステロール値の基準は定め難く、コレステロール値は参考値に過ぎなくなっていました。
あまり、目立つような周知が為されていませんでした。
そして、今日でも、国民的な“高コレステロール恐怖症”は続いていると言えます。
しかしながら、国民病的に“高コレステロール病”恐怖症が流布しているにしては、今回の病名“高脂血症”が改名され、「脂質異常症」となり、診療基準は改められ、“コレステロール値”が排除されるようなドラスチックな変化にしては、静かな情報発信となっているのが現状と思います。
今回の動脈硬化学会の変化は、一つには、コレステロールと動脈硬化との関係が、血中コレステロール値で語れるほど単純ではなくなったことが、先ず、上げられます。
もう一つは、2002年に発表された我が国のJ-LIT(Japan Lipid Intervention Trial)と呼ぶ我が国、日本での全国5万人以上の“高脂血症患者(血中コレステロール値220mg/dl以上の患者)”を6年間に渡って、スタチン系コレステロール低下薬の効用を追跡した試験で、低コレステロールに伴なった心筋梗塞死の増加のみならず、ガン死、脳出血死、感染症死、自殺・事故死などが増加して、総死亡率が2.7倍ほど増えてしまったとの結果にあると思います。
ツズケテ、J-LIT研究や動脈硬化の病態について取り上げたいと思います。
(楽天ブログ「低コレステロールを上げる元祖」 、Dr.BEAUT・ソフィーリッチのブログ「低コレ & ローコレ日記」に関連内容を取り上げています)
Monday, May 07, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・1
高コレステロールより低コレステロールが怖い
我が国では、国民的な“高コレステロール”恐怖症といって良いぐらいの状況にあります。
そして、治療薬や医薬品のみならず、血中コレステロール値を下げることを売り物とする特保商品、サプリメントや健康食品などの百花繚乱状態に在ると言えます。
しかしながら、“高コレステロール病”の代名詞と言って良いような、長年用いられてきた病名・「高脂血症」は、この4月25日の日本動脈硬化学会によって消滅、改名して、新たに「脂質異常症」と言う病名の誕生となりました。
そして、新たな診断指針が設定されました。
今度は、その診療指針から、血中コレステロール値は削除されてしまったのです。
つまり、コレステロール値の診断、治療としての意味を失ってしまったのです。
そうなると、血中コレステロールを下げる意味や条件は、どうなるかとなります。
同じ、動脈硬化性疾患をターゲットとするメタボリックシンドローム(メタボリック症候群、代謝症候群)の診断基準には、始めから、血中コレステロール値が含まれていない事実を考えれば、コレステロール値が有効な検査値でないことは、当然ともいえます。
高コレステロール値が問題となるのは、家族性高コレステロール血症などの特別の病気に限られたのです。
楽天ブログ「低コレステロールを上げる元祖」などに、既に、取り上げていますように、高コレステロール血症で、動脈硬化性疾患死のみならず、ガン、脳出血、感染症、事故・自殺死など全ての死亡原因を含めた死亡者数が上がるのは、血中コレステロール値が280mg/dl以上になってからなのです。
しかし、血中コレステロール値が180mg/dl以下の低コレステロールによる死亡者数の方が多いのが現実です。
私たちの生命維持に、コレステロールは必要不可欠の成分なのです。
動脈硬化予防には、単純な血中コレステロール値だけでは何ともならない新事実が明らかになって来ました。
今や、新たな初期の動脈硬化発生過程での予防対策が求められるのです。
メタボリックシンドロームについては、Dr.BEAUT・ソフィーリッチの「低コレ & ローコレ日記」の前のブログで取り上げてきましたので、興味のある人は参考にして下さい。
ここでは、低コレステロールを改善する必要性を「俯瞰」的に取り上げたいと思います。
(楽天ブログ「低コレステロールを上げる元祖」 、Dr.BEAUT・ソフィーリッチのブログ 「低コレ & ローコレ日記」に関連内容を取り上げています)
Sunday, May 06, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・6
この休み中のNHKBS2で、たまたま、五木寛之訪ねる仏教番組を観ました。
中国・南宋禅の元祖となっている六祖慧能を取り上げていました。
慧能は、文字の読み書きも出来ませんでしたが、仲間に書いてもらった「詩」によって六祖となったことで知られた禅宗の再興僧です。
浄土宗祖の法然上人とその影響を受けた一休宗純の浄・禅兼帯の生活文化思想の背景となっているのが、慧能の「頓悟直路」、「見性成仏」だったと私は思っています。
クマラジュウの「煩悩是道場」、「直心是道場」の思想は、「五欲煩悩」にあって「この市中こそ道場とならざるはなし」とつながります。
番組にあって、「自分を見つめる心(soul)、人による心」を説き、慧能の言葉として、「外から見える形にこだわると、たちまち、心が乱れる」とありました。
達磨禅以来150年を経ての慧能による「形にこだわるな」の禅の変法となりました。
また、「書くことによって、心を空にする」大切さを説きました。
農作業、掃除など何でもよいのです。
私は、オタピー茶の湯としては、且坐喫茶によって「形にこだわることなく」、「天と地の界にしっかりと坐す」れば、「本来無一物」の「心」からの「俯瞰」の境地となるのです。
オタピー茶の湯では、日常茶飯の生活の場にあっての「市中の山居」での「俯瞰」は「直心是道場」での「頓悟直路」の「心」に入るのです。
日常茶飯にあっての「心と体の共鳴」なのです。
その上で、「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかし」が求められるのです。
中国・南宋禅の元祖となっている六祖慧能を取り上げていました。
慧能は、文字の読み書きも出来ませんでしたが、仲間に書いてもらった「詩」によって六祖となったことで知られた禅宗の再興僧です。
浄土宗祖の法然上人とその影響を受けた一休宗純の浄・禅兼帯の生活文化思想の背景となっているのが、慧能の「頓悟直路」、「見性成仏」だったと私は思っています。
クマラジュウの「煩悩是道場」、「直心是道場」の思想は、「五欲煩悩」にあって「この市中こそ道場とならざるはなし」とつながります。
番組にあって、「自分を見つめる心(soul)、人による心」を説き、慧能の言葉として、「外から見える形にこだわると、たちまち、心が乱れる」とありました。
達磨禅以来150年を経ての慧能による「形にこだわるな」の禅の変法となりました。
また、「書くことによって、心を空にする」大切さを説きました。
農作業、掃除など何でもよいのです。
私は、オタピー茶の湯としては、且坐喫茶によって「形にこだわることなく」、「天と地の界にしっかりと坐す」れば、「本来無一物」の「心」からの「俯瞰」の境地となるのです。
オタピー茶の湯では、日常茶飯の生活の場にあっての「市中の山居」での「俯瞰」は「直心是道場」での「頓悟直路」の「心」に入るのです。
日常茶飯にあっての「心と体の共鳴」なのです。
その上で、「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかし」が求められるのです。
Saturday, May 05, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・5
オタピー茶の湯は、日常茶飯の俯瞰思考を大切にしていると述べて来ました。
私にとって、喫茶、茶の湯の時が、俯瞰思考に最適なのです。
ポルトガルの宣教師・ロドリゲスが、日本教会史に、茶室を「市中の山居」と記しています。
私は、実に、当を得た表現だと思います。
江戸初期の時代の茶室の持つ意味について、外国人による優れた観察眼と、私は、茶の湯も含めて、喫茶の場は、「市中の山居」と言いたいのです。
それ故に、オタピー茶の湯としては、喫茶の場が「市中の山居」感を持つことを必要条件としています。
「市中の山居」と言う表現には、西行法師的な隠遁の庵とは異なった意味が込められています。
人里離れた隠遁の場ではなく、日常茶飯の個人的及び仕事も含めた社会的な生活環境の場に在っての表現として、「市中の山居」があるのです。
つまりは、日常茶飯の社会生活をしながら、「市中の山居」で、「隠遁の庵」の境地に入ることが出来るのです。
「市中の山居」で、オタピー茶の湯的喫茶、茶の湯の所作に勤しみながら「俯瞰思考」に誘導されていくのです。
その場が、「主客同坐」であれ、「独坐観念」感を持って、「俯瞰思考」に基づく「直心の会話」が楽しめたら、最高のオタピー茶の湯の在りようとなります。
六租慧能の禅の境地と共通する心と思います。
慧能禅師の心は、マサニ、オタピー茶の湯の心に通じているのです。
私にとって、喫茶、茶の湯の時が、俯瞰思考に最適なのです。
ポルトガルの宣教師・ロドリゲスが、日本教会史に、茶室を「市中の山居」と記しています。
私は、実に、当を得た表現だと思います。
江戸初期の時代の茶室の持つ意味について、外国人による優れた観察眼と、私は、茶の湯も含めて、喫茶の場は、「市中の山居」と言いたいのです。
それ故に、オタピー茶の湯としては、喫茶の場が「市中の山居」感を持つことを必要条件としています。
「市中の山居」と言う表現には、西行法師的な隠遁の庵とは異なった意味が込められています。
人里離れた隠遁の場ではなく、日常茶飯の個人的及び仕事も含めた社会的な生活環境の場に在っての表現として、「市中の山居」があるのです。
つまりは、日常茶飯の社会生活をしながら、「市中の山居」で、「隠遁の庵」の境地に入ることが出来るのです。
「市中の山居」で、オタピー茶の湯的喫茶、茶の湯の所作に勤しみながら「俯瞰思考」に誘導されていくのです。
その場が、「主客同坐」であれ、「独坐観念」感を持って、「俯瞰思考」に基づく「直心の会話」が楽しめたら、最高のオタピー茶の湯の在りようとなります。
六租慧能の禅の境地と共通する心と思います。
慧能禅師の心は、マサニ、オタピー茶の湯の心に通じているのです。
Friday, May 04, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・4
俯瞰的思考は、絵巻物に始まり、我が国の伝統だと言えます。
喫茶文化は、まず、嵯峨天皇による漢文化志向、嗜好に始まり、栄西以後の鎌倉を経て、室町期になると次第に和文化の独自性が発揮されだしたと思います。
南北朝の混乱を治めた室町幕府三代将軍・足利義満は、時を同じくして始まった明との貿易によって、今日の茶の湯の名物や美術品のコレクションを行っていますが、和の文化の創生者でもあります。
義満はPOP-Kitsch-サブカルチャーと言える和文化をハイカルチャーに高めています。
身分的に低かった人達の申楽を能楽として、今日の日本を代表する文化に育成しています。
世阿弥の優れた感性を育て上げ、歴史上の人物としました。
その世阿弥は「風姿花伝」を始めとしてシェィクスピアより早い芸術論や戯曲を書き上げています。
平安期の紫式部の長編小説「源氏物語」と共に、世阿弥の芸術論「風姿花伝」は、世界で最初の文化なのです。
これまた世界で始めての源氏物語絵巻は、俯瞰的鳥瞰図となっています。
一方の有名な世阿弥の芸論「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」は、斉藤孝が「声に出して読みたい日本語」に記していますように、「ただ演技をするのではなく、演技している自分を離れたところから見つめるもう一人の自分を意識のなかにもつこと」、世阿弥の言葉を借りれば「離見の見」が必要なのです。
つまりは、「俯瞰思考」が求められているのです。
「俯瞰思考」は、和歌、連歌を取り込んで発展した日常茶飯の生活文化・茶の湯にあっても引き継がれています。
POP-Kitschーサブカルチャーとハイカルチャーとの界を紛らかす文化は、「俯瞰思考」が必要条件となると判ります。
喫茶文化は、まず、嵯峨天皇による漢文化志向、嗜好に始まり、栄西以後の鎌倉を経て、室町期になると次第に和文化の独自性が発揮されだしたと思います。
南北朝の混乱を治めた室町幕府三代将軍・足利義満は、時を同じくして始まった明との貿易によって、今日の茶の湯の名物や美術品のコレクションを行っていますが、和の文化の創生者でもあります。
義満はPOP-Kitsch-サブカルチャーと言える和文化をハイカルチャーに高めています。
身分的に低かった人達の申楽を能楽として、今日の日本を代表する文化に育成しています。
世阿弥の優れた感性を育て上げ、歴史上の人物としました。
その世阿弥は「風姿花伝」を始めとしてシェィクスピアより早い芸術論や戯曲を書き上げています。
平安期の紫式部の長編小説「源氏物語」と共に、世阿弥の芸術論「風姿花伝」は、世界で最初の文化なのです。
これまた世界で始めての源氏物語絵巻は、俯瞰的鳥瞰図となっています。
一方の有名な世阿弥の芸論「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」は、斉藤孝が「声に出して読みたい日本語」に記していますように、「ただ演技をするのではなく、演技している自分を離れたところから見つめるもう一人の自分を意識のなかにもつこと」、世阿弥の言葉を借りれば「離見の見」が必要なのです。
つまりは、「俯瞰思考」が求められているのです。
「俯瞰思考」は、和歌、連歌を取り込んで発展した日常茶飯の生活文化・茶の湯にあっても引き継がれています。
POP-Kitschーサブカルチャーとハイカルチャーとの界を紛らかす文化は、「俯瞰思考」が必要条件となると判ります。
Thursday, May 03, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・3
オタピー茶の湯がキーワードとする「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかす」にあたって、次のような基本思考があります。
「志」、「創意」、「俯瞰」を基本として、「負の思想」、「マイナス思考」をします。
「負の思想」、「マイナス思考」は、日常茶飯にあって、表に現れた表面的なことに囚われることなく、その背景にある普遍性に通じた物事を大切にするのです。
「負の思考」、「マイナス思考」は、赤瀬川原平の「芸術原論」、「千利休 無言の前衛」に、「普遍性」思考は、谷川徹三の「日本人のこころ」にあります。
「俯瞰」的な見方、思考は、日本の伝統思考だと思います。
平安末期から鎌倉期にかけての絵巻物から俯瞰図を基本とします。
同時代に始まるマンガ、アニメの元祖・鳥獣戯画では俯瞰的というよりは、「負の思想」で描かれ、必要最小限の運筆線描となっています。
つまりは、既成概念に囚われることなく、普遍性に通じた創意と志を高く持って日常茶飯を過ごし、俯瞰的な客観化視点を忘れず、自己反省も忘れないのです。
「志」、「創意」、「俯瞰」を基本として、「負の思想」、「マイナス思考」をします。
「負の思想」、「マイナス思考」は、日常茶飯にあって、表に現れた表面的なことに囚われることなく、その背景にある普遍性に通じた物事を大切にするのです。
「負の思考」、「マイナス思考」は、赤瀬川原平の「芸術原論」、「千利休 無言の前衛」に、「普遍性」思考は、谷川徹三の「日本人のこころ」にあります。
「俯瞰」的な見方、思考は、日本の伝統思考だと思います。
平安末期から鎌倉期にかけての絵巻物から俯瞰図を基本とします。
同時代に始まるマンガ、アニメの元祖・鳥獣戯画では俯瞰的というよりは、「負の思想」で描かれ、必要最小限の運筆線描となっています。
つまりは、既成概念に囚われることなく、普遍性に通じた創意と志を高く持って日常茶飯を過ごし、俯瞰的な客観化視点を忘れず、自己反省も忘れないのです。
Wednesday, May 02, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・2
侘び茶の始まりは、村田珠光による古市播磨法師に送った手紙「心の文」にある「和漢の界を紛らかす」からと言われます。
私の「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーの界を紛らかす」の源泉とする心です。
古市播磨は、奈良地域の豪族の一門で、林間茶の湯と呼ばれる一族や仲間内が集まって宴会的なモテナシとして楽しんでいたグループの人です。
当時は、既存の唐物尊重から、和物の価値観を認識し始めた時代といえます。
能の金春禅竹を始めとした人達によって、備前焼などの和の焼き物への評価を認識し始めたのです。
当時、連歌や和歌の世界との紛らかしが、和漢の世界との紛らかしを促進させたと言えます。
その代表が、連歌、和歌を導入した武野紹鷗です。
侘びに続く寂びの心も加わったと言えます。
そして、茶の湯の完成者として、千利休の登場となったのです。
利休は、渡来した南蛮文化、キリスト文化での様式を茶の湯の所作、様式に導入しています。
つまり、「和漢洋の界を紛らかし」を行ったのです。
その茶の湯の原型は、元禄時代に始まり、今日に続く家元制によって維持、継続、保存されたと言ってよいでしょう。
以上より、茶の湯文化が如何に進展する社会、文化を取り入れながら発展してきたかが判ります。
今日的なグローバル文化社会にあっては、グローカル文化は、「多様な文化との界の紛らかし」となる必然性があります。
取り分け、茶の湯文化は、日常茶飯の生活文化ですから、「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかす」ことが大切だとなります。
私の「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーの界を紛らかす」の源泉とする心です。
古市播磨は、奈良地域の豪族の一門で、林間茶の湯と呼ばれる一族や仲間内が集まって宴会的なモテナシとして楽しんでいたグループの人です。
当時は、既存の唐物尊重から、和物の価値観を認識し始めた時代といえます。
能の金春禅竹を始めとした人達によって、備前焼などの和の焼き物への評価を認識し始めたのです。
当時、連歌や和歌の世界との紛らかしが、和漢の世界との紛らかしを促進させたと言えます。
その代表が、連歌、和歌を導入した武野紹鷗です。
侘びに続く寂びの心も加わったと言えます。
そして、茶の湯の完成者として、千利休の登場となったのです。
利休は、渡来した南蛮文化、キリスト文化での様式を茶の湯の所作、様式に導入しています。
つまり、「和漢洋の界を紛らかし」を行ったのです。
その茶の湯の原型は、元禄時代に始まり、今日に続く家元制によって維持、継続、保存されたと言ってよいでしょう。
以上より、茶の湯文化が如何に進展する社会、文化を取り入れながら発展してきたかが判ります。
今日的なグローバル文化社会にあっては、グローカル文化は、「多様な文化との界の紛らかし」となる必然性があります。
取り分け、茶の湯文化は、日常茶飯の生活文化ですから、「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかす」ことが大切だとなります。
Tuesday, May 01, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・1
茶の湯文化は、本来、日常的な生活様式を美的、哲学的、芸術的、科学的に取り入れた総合文化として昇華を見たものだと思います。
喫茶文化は、中国・唐の文化として遣唐使たちによって持ち込まれ、平安朝の嵯峨天皇の時代に繁栄を見たのですが、その後、我が国では、鎌倉末期に栄西が宋から抹茶が持ち込まれたことによって、新しい展開を見ました。
禅宗や仏教との関係として、修行としての振る舞いに取り込まれ、庶民への健康性や栄養性をもった施茶、一服一銭としての喫茶が商売としての一面も持って発展をしました。
しかし、鎌倉から室町幕府に変転する時代に、バサラ大名の佐々木道誉を代表に美術的、習俗的取り込みが成されたといえます。
それ故に、足利尊氏は「武家諸法度」で、茶の湯の集まりを禁止しています。
室町時代になると将軍様たちが中国貿易としての付加価値のついた美術品や工芸品を輸入して、御殿で喫茶文化を美術品鑑賞と絡ませて発展させたと言えます。
足利義政が東山文化として、今日のグローカル性ある日本文化の源泉と言って良い発展の礎を追及したと私は思います。
しかし、応仁の乱によって、世は乱れましたが、一休宗純ら知識、教養人が地方に散って、新しい文化の芽となったと言えます。
今日の京田辺にある一休寺と呼ばれる酬恩庵が文化サロンとしての代表で、今日的に言えば、文化創造の地であったと思います。
侘びの茶も、そのサロンに参加していたであろう村田珠光に始まるのです。
ここまでの概観によっても、如何に茶の湯が、ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかしながら発展してきたかが判ります。
喫茶文化は、中国・唐の文化として遣唐使たちによって持ち込まれ、平安朝の嵯峨天皇の時代に繁栄を見たのですが、その後、我が国では、鎌倉末期に栄西が宋から抹茶が持ち込まれたことによって、新しい展開を見ました。
禅宗や仏教との関係として、修行としての振る舞いに取り込まれ、庶民への健康性や栄養性をもった施茶、一服一銭としての喫茶が商売としての一面も持って発展をしました。
しかし、鎌倉から室町幕府に変転する時代に、バサラ大名の佐々木道誉を代表に美術的、習俗的取り込みが成されたといえます。
それ故に、足利尊氏は「武家諸法度」で、茶の湯の集まりを禁止しています。
室町時代になると将軍様たちが中国貿易としての付加価値のついた美術品や工芸品を輸入して、御殿で喫茶文化を美術品鑑賞と絡ませて発展させたと言えます。
足利義政が東山文化として、今日のグローカル性ある日本文化の源泉と言って良い発展の礎を追及したと私は思います。
しかし、応仁の乱によって、世は乱れましたが、一休宗純ら知識、教養人が地方に散って、新しい文化の芽となったと言えます。
今日の京田辺にある一休寺と呼ばれる酬恩庵が文化サロンとしての代表で、今日的に言えば、文化創造の地であったと思います。
侘びの茶も、そのサロンに参加していたであろう村田珠光に始まるのです。
ここまでの概観によっても、如何に茶の湯が、ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかしながら発展してきたかが判ります。
Tuesday, September 05, 2006
The Way of OTAPY CYANOYU。 オタピー茶の湯を考える
Web 2.0 are going to change the daily human communication Way; Web 2.0 は人間のコミュニケーション様式を変えようとしています。
Japanese traditional way of tea is the human communication culture to get together with contacting each others.
日本の伝統文化である茶の湯は人々が直接接しながらコミニケーションを取る文化です。
Yet,the present day, IT are changing the daily communication way drastically.
しかしながら、近年のITは、日常のコミュニケーションの在り様を著しく変えようとしています。
The way of Tea is the artistic and sophyisticated cultivated way of daily life .
茶の湯は、芸術的で、洗練された日常茶飯の様式と言えます。
Considering the generation of the accomplishment of the way of tea, the circumstance of our daily life is drasicall changed.
茶の湯文化が成立した時代を考えると生活環境は著しく変わってしまいました。
The facts enforce us to find out the present and future way of human communication through the getting together to drink tea, which are not necesary limitting to drink traditional maccha.
それ故に、現代、未来を見据えた人間のコミュニケーションの方法として、伝統的な抹茶に限定することなく一緒になって集う文化が求められていると思います。
The most important cultural bases are consider about the evaluation of art and philosophy.
最も大切にするものに,芸術や哲学の価値観にあります。
Now,we have to consider and discuss about the evaluable definition of high art,sub-culture , and POP culture.
今や、私どもは、ハイアートとはを、サブカルチャーやPOPカルチャーを含めて考えなければなりません。
We have to search to enjoy the evaluatin and inducing of the present POP OTAKU, we call OTAPY,culture to our OTAPY CHANOYU with direct and Web 2.0 comunication cultures.
私どもは、POPオタク、つまり、POPオタピーを評価し、導入をオタピー茶の湯として、直接的やWeb 2.0時代のコミュニケーション文化として楽しみながら研究する必要があると思うのです。
Friday, October 21, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.116
With A Smile Upon His Face Rikiu Passed Forth Into The Unknown
『The ceremony is over; the guests with difficulty restraining their tears, take their last farewell and leave the room.One only, the nearest and dearest, is requested to remain and witness the end.
Rikiu then removes his tea-gown and carefully folds it upon the mat, thereby disclosing the immaculate white death robe which it had hitherto cocealed.
Tenderly he gazes on the shining blade of the fatal dagger, and in exquisite verse thus addresses it:
" Welcome to three,
O sword of Eternity !
Through Buddha
And Through Dharuma Alike
Thou Hast Cleft Thy Way."
With a smile upon his face Rikiu passed forth into the unknown.』
(From The Book of Tea; Tea-Masters, p.116, Chales E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Thursday, October 20, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.115
The Evanescence Of All Earthly Things
『On the day destined for his self-immolation, Rikiu invited his chief disciples to a last tea-ceremony.Mournfully at the appointed time the guests met at the portio.
As they look into the garden path the trees seem to shudder, and in the rustling of their leaves are heard the whispers of homeless ghosts.
Like solemn sentinels before the gates of Hades stand the grey stone lanterns.
A wave of rare incense is wafted from the tea-room; it is the summons which bids the guests to enter.
One by one they advance and take their places.
In the tokonoma hangs a kakemono,-a wonderful writing by an ancient monk dealing with the evanescence of all earthly things.
The singing kettle, as it boils over the brazier, sounds like some cicada pouring forth his woes to departing summer.
Soon the host enters the room.
Each in turn is served with tea, and each in turn silently drains his cup, the host last of all.
According to established etiquette, the chief gust now asks permission to examine the tea-equipage.
Rikiu places the various articles before them with the kakemono.
After all have expressed admiration of their beauty, Rikiu presents one of them to each of the assembled company as a souvenir.
The bowl alone he keeps.
"Never again shall this cup, polluted by the lips of misfortune, be used by man."
He speaks, and breaks the vessel into fragments.』
(From the Book of the Tea; Tea-Masters, p.11 Book of the Tea; Tea-Masters, p.114-115, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Tuesday, October 18, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.-114
Seeking Always To Be In Harmony
With The Great Rhythm Of The Universe
『He only who has lived with the beautiful can die beautifully.The last moments of great tea-masters were as full of exquisite refinement as had been their lives.
Seeking always to be in harmony with the great rhythm of the universe, they were ever prepared to enter the unknown.
The "Last Tea of Rikiu" will stand forth forever as the acme of tragic grandeur.
Long had been the friendship between Rikiu and the Taiko-Hideyoshi,
and high the estimation in which the great warrior held the tea-master.
But the friendship of a despot is ever a dangerous honour.
It was an age rife with treachery, and men trusted not even their nearest kin.
Rikiu was no servile courtier, and often dared to differ in argument with his fierce patron.
Taking advantage of coldness which had for some time existed between the Taiko and Rikiu, the enemies of the latter accused him of being implicated in a conspiracy to poison the deposit.
It was whispered to Hideyoshi that the fatal potion was to be administered to him with a cup of the green beverage prepared by the tea-master.
With Hideyoshi suspicion was sufficient ground for instant execution, and there was no appeal from the will of the angry ruler.
One privilege alone was granted to the condemned-the honour of dying by his own hand.』
(From the Book of Tea; Tea-Masters,p.113-114 , Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Monday, October 17, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.113
Joy & Beauty in the Roll of the Billows
as They Sweep Outward Toward Eternity
『Those of us who know not the secret of properly regulating our own existing our own existince on this tumultuous sea of foolish troubles which we call life are constantly in a state of misery while vainly tring to appear happy and cotented.We stagger in the attempt to keep our moral equilibrium, and see forerunners of the tempest in every cloud that floats on the horizon.
Yet there is joy and beauty in the roll of the billows as they sweep outward toward eternity.
Why not enter into their spirit, or, loke Liehtse, ride upon the hurricane itself?』
(From the Book of Tea; Tea-Masters, p.113, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Sunday, October 16, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.112
Natural Love of Simplicity &
The Beauty of Humanity
『Great as has benn the influence of the tea-masters in the field of art, it is as nothing compared to that which they have exerted on the conduct of life.Not only in the usages of polite society, but also in the arrangement of all our domestic details, do we feel the presence of the tea-masters.
Many of our delicate dishes, as well as way of serving food, are their inventions.
They have taught us to dress only in garments of sober colours.
They have instructed us the beaty of humanity.
In fact, through their teachings tea has entered the life of the people.』
(From the Book of Tea; Teqa-Masters, p.112, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont,Tokyo, Japan)
Sunday, August 21, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.111
The Contributions of The Tea-masters to Art
『 Manifold indeed have been the contributions of the tea-masters to art.They completely revolutionised the classical architecture and interior decorations, and established the new style which we have described in the chapter of the tea-room, a style to whose influence even the palaces and monasteries built after the sixteenth century have all been subject.
The many-sided Kobori-Enshiu has left notable examples of his genius in the Imperial villa of Katsura, the castles of Nagoya and Nijo, and the monastery of Kohoan.
All the celebrated gardens of Japan were laid out by the tea-masters.
Our pottery would probably never have attained its high quority of excellence if the tea-masters had not lent to it their inspiration, the manufacture of the utensils used in the tea-ceremony calling forth the utmost expenditure of ingenuity on the part of our ceramists.
The Seven Kilns of Enshiu are well known to all students of Japanese pottery.
Many of our textile fabrics bear the names of tea-masters who conceived their colour or design.
It is impossible, indeed, to find any department of art in which the tea-masters have not left marks of their genius.
In painting and lacquer it seems almost superfluous to mention the immense sevice they have rendered.
One of the greatest schools of painting owes its origin to the tea-master Honnami-Koyetsu, famed also as a lacqer arist and potter.
Beside his works, the splendid creation of his grandson, Koho, and of his grand-nephews, Korin and Kenzan, almost fall into the shade.
The whole Korin school, as it is generally designated, is an expression of Teaism.
In the broad lines of this school we seem to find the vitality of nature herself. 』
(From the Book of Tea-Tea-Masters、p.110-112, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
The way of Tea is the culture of daily life.
It's mean how we enjoy our daily life includings philosophy and arts.
To enjoy the human life, we need house, foods and related goods and like to enjoy all kinds of arts .
We also ask to enjoy the nature collaborating to resonace with human being.
Friday, August 12, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.110
To Those Who Long Only For Flowers, Fain Would I Show The Full-blown Spring Which Abides In The Toiling Buds Of Snow-covered Hills

『 Tea-Masters
In the religion the Future is behind us.
In art the Present is the eternal.
The tea-master held that real appreciation of art is only possible to those who make of it a living influence.
Thus they sought to regulate their daily life by the high standard of refinement which obtained in the tea-room.
In all circumstances serenity of mind should be maintained, and covesation should be so conducted as never to mar the harmony of the surroundings.
The cut and colour of the dress, the poise of the body, and the manner of walking could all be made expressions of artistic personality.
These were matters not to be lightly ignored, for until one has made himself beautiful he has no right to approach beauty.
Thus the tea-master stove to be something more than the artist, -art itself.
It was the Zen of aestheticism.
Perfection is everywhere if we only choose to recognise it.
Rikiu loved to quote an old poem which says: " To those who long only for flowers, fain would I show the full-blown spring which abides in the toiling buds of snow-covered hills. "
』
(From the Book of Tea-Tea-masters, p.109-110, Charles E. Tuttles Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Finaly, we are now final session.
We learn how Tea-masters contribute to not only for tea-ceremony.
We have to realize " It's not only to Art, but to The total way of life.
Let's learn the Eternal way of Artistic life through the way of tea-drinking.
Image Designer: Izumi Mori
Monday, August 01, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.109
The Full Significance of The Flower Sacrifice

『 Flower stories are endless.
We shall recount but one more.
In the sixteenth century the morning-glory was as yet a rare plant with us.
Rikuiu had an entire garden planted with it, which he cultivated with assiduous care.
The fame of his convolvuli reached the ear of the Taiko, and he expressed a desire to see them, in cosequence of which Rikiu invited him to a morning tea at his house.
On the appointed day the Taiko walked through the garden, but nowhere could he see any vesige of the convolvulus.
The ground had been leveled and strewn with fine pebbles and sand.
With sullen anger the despot entered the tea-room, but a sight waited him there which completely restored his humour.
On the tokonoma,in a rare bronze of Sung workmanship, in a single morning-glory----the queen of the whole garden!
In such instances we see the full significance of the Flower Sacrifice.
Perhaps the flowers appreciated the full significance of it.
They are not cowards, like men.
Some flowers glory in death-certainly the Japanese cherry blossomes do, as they freely surrender themselves to the winds.
Anyone who has stood before the fragrant avalanche at Toshino or Arasyhiyama must have realised this.
For a moment they hover like bejewelled clouds and dance above the crystal streams; then, as they sail away on the laughing waters, they seem to say: " Farewell, O Spring! We are on to Eternity."』
(From The Book of Tea-Flowers, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
This is the last part of the " Flowers".
To me , it's very difficult to understand about the Flower arrangements.
Do you agree to "The Full Significance of The Flower Sacrifice" !!
We shall recount but one more.
In the sixteenth century the morning-glory was as yet a rare plant with us.
Rikuiu had an entire garden planted with it, which he cultivated with assiduous care.
The fame of his convolvuli reached the ear of the Taiko, and he expressed a desire to see them, in cosequence of which Rikiu invited him to a morning tea at his house.
On the appointed day the Taiko walked through the garden, but nowhere could he see any vesige of the convolvulus.
The ground had been leveled and strewn with fine pebbles and sand.
With sullen anger the despot entered the tea-room, but a sight waited him there which completely restored his humour.
On the tokonoma,in a rare bronze of Sung workmanship, in a single morning-glory----the queen of the whole garden!
In such instances we see the full significance of the Flower Sacrifice.
Perhaps the flowers appreciated the full significance of it.
They are not cowards, like men.
Some flowers glory in death-certainly the Japanese cherry blossomes do, as they freely surrender themselves to the winds.
Anyone who has stood before the fragrant avalanche at Toshino or Arasyhiyama must have realised this.
For a moment they hover like bejewelled clouds and dance above the crystal streams; then, as they sail away on the laughing waters, they seem to say: " Farewell, O Spring! We are on to Eternity."』
(From The Book of Tea-Flowers, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
This is the last part of the " Flowers".
To me , it's very difficult to understand about the Flower arrangements.
Do you agree to "The Full Significance of The Flower Sacrifice" !!
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