Sunday, May 06, 2007

オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・6

 この休み中のNHKBS2で、たまたま、五木寛之訪ねる仏教番組を観ました。

 中国・南宋禅の元祖となっている六祖慧能を取り上げていました。

 慧能は、文字の読み書きも出来ませんでしたが、仲間に書いてもらった「詩」によって六祖となったことで知られた禅宗の再興僧です。

 浄土宗祖の法然上人とその影響を受けた一休宗純の浄・禅兼帯の生活文化思想の背景となっているのが、慧能の「頓悟直路」、「見性成仏」だったと私は思っています。

 クマラジュウの「煩悩是道場」、「直心是道場」の思想は、「五欲煩悩」にあって「この市中こそ道場とならざるはなし」とつながります。

 番組にあって、「自分を見つめる心(soul)、人による心」を説き、慧能の言葉として、「外から見える形にこだわると、たちまち、心が乱れる」とありました。

 達磨禅以来150年を経ての慧能による「形にこだわるな」の禅の変法となりました。

 また、「書くことによって、心を空にする」大切さを説きました。

農作業、掃除など何でもよいのです。

 私は、オタピー茶の湯としては、且坐喫茶によって「形にこだわることなく」、「天と地の界にしっかりと坐す」れば、「本来無一物」の「心」からの「俯瞰」の境地となるのです。

 オタピー茶の湯では、日常茶飯の生活の場にあっての「市中の山居」での「俯瞰」は「直心是道場」での「頓悟直路」の「心」に入るのです。

 日常茶飯にあっての「心と体の共鳴」なのです。

 その上で、「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかし」が求められるのです。

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