侘び茶の始まりは、村田珠光による古市播磨法師に送った手紙「心の文」にある「和漢の界を紛らかす」からと言われます。
私の「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーの界を紛らかす」の源泉とする心です。
古市播磨は、奈良地域の豪族の一門で、林間茶の湯と呼ばれる一族や仲間内が集まって宴会的なモテナシとして楽しんでいたグループの人です。
当時は、既存の唐物尊重から、和物の価値観を認識し始めた時代といえます。
能の金春禅竹を始めとした人達によって、備前焼などの和の焼き物への評価を認識し始めたのです。
当時、連歌や和歌の世界との紛らかしが、和漢の世界との紛らかしを促進させたと言えます。
その代表が、連歌、和歌を導入した武野紹鷗です。
侘びに続く寂びの心も加わったと言えます。
そして、茶の湯の完成者として、千利休の登場となったのです。
利休は、渡来した南蛮文化、キリスト文化での様式を茶の湯の所作、様式に導入しています。
つまり、「和漢洋の界を紛らかし」を行ったのです。
その茶の湯の原型は、元禄時代に始まり、今日に続く家元制によって維持、継続、保存されたと言ってよいでしょう。
以上より、茶の湯文化が如何に進展する社会、文化を取り入れながら発展してきたかが判ります。
今日的なグローバル文化社会にあっては、グローカル文化は、「多様な文化との界の紛らかし」となる必然性があります。
取り分け、茶の湯文化は、日常茶飯の生活文化ですから、「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかす」ことが大切だとなります。
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