茶の湯文化は日本のグローカル文化で日常茶飯の総合生活文化。しかし、茶道は様式化の故に日常茶飯から遊離をしている。オタピィー茶の湯は今日的な日常茶飯にあって、ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャとの界を紛らかす前衛性の精神を大切に茶の湯を楽しまんとするもの。 志、創意、俯瞰性を大切にする。 ローコレステアラームは低コレステロールの危険性に注目したサプリメント。 国民的な“高コレステロール病”は、高脂血症の病名は消え、脂質異常症と変わり、診断基準からコレステロール値は除外されたことにより認識を改めるべき時。低コレステロールの方が問題との話題を提起する。 オタピー茶の湯 & ロコレステアラームでは既成概念に対して、俯瞰的に茶の湯及びコレステロールについて考える。
Monday, July 02, 2007
低コレステロールが発病を増す疾患・・18
高齢化に伴なって、血中総コレステロール値の低下が顕著となるのは、男子です。
女性では、更年期以後、高齢化に伴なった低コレステロールとなるよりは、ムシロ逆に、高コレステロールとなる傾向にあります。
それ故に、女性の更年期以後の人達で、低コレステロールが認められる場合は、その理由をハッキリさせる必要があるといえます。
2004年(平成16年度)の厚労省が発表した「国民健康・栄養調査報告」(第一出版)より、高齢者の70歳以上の男女での総コレステロール値の分布%を示します。
20歳以上の男女それぞれでの血中総コレステロール値が179mg/dl以下の人達の分布%;
男子: 30.3% 女子: 22.6%
70歳以上の男女それぞれでの血中総コレステロール値が179gm/dl以下の人達の分布%;
男子: 38.0% 女子: 15.7%
20歳以上の男女に比して、血中コレステロール値の分布%は、以下の如くにまとめられます。
男子では、70歳以上の低コレステロール値として、問題となる179mg/dl以下となる分布%は、38.と20歳以上の人達の30.0%より、増加している。
しかし、逆に、女性では、70歳以上の血中コレステロール値が179mg/dl以下となる分布%は、15.7%で、20歳以上の分布%の22.9%より、低下しているとわかります。
もう少し詳しく検討します。
年齢 65~69 70~79 75~79 80~84 85歳以上
血中総コレステロール値
179mg/dl以下の分布
(%)
男性; 27.8 36.5 39.3 35.6 50.0
女性; 15.9 13.6 17.4 19.2 15.1
以上より、男性では、70歳以上となると低コレステロールとなる人が、急に増加することを示しています。
一方の女性では、70歳以上で、低コレステロールとなる人が、増加する傾向は明らかではありません。
こうした事実より、私は、以下の如くに推測しています。
高齢化に伴なって、女性群は、あまり、認知能力の低下を伴なうことなく、元気な人が多い。
逆に、男性群は、70歳以上となると、低コレステロール値が問題となる179mg/dl以下の人では、元気、活力が、意欲も含めて、低下する人が多くなる。
そして、認知能力の低下を招く人が多い?
高齢化と低コレステロール値が179mg/dl以下となった場合、男性は、その改善が必要だと示唆していると思います。
女性では、逆に、何故に、179mg/dl以下の低コレステロール値となっているのかの検討が必要なのだと示唆していると思います。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・BMI/肥満・・その5」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「素肌美障害とコレステロール代謝・・ビタミンD・・その7」を取り上げています)
(はてなブログでは、『オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」』を取り上げています)
Friday, June 29, 2007
低コレステロールと発病が増す疾患・・17
低コレステロール血症によって、ガン、脳出血、感染症、自殺・事故死などが増すことは、良く知られたことです。
Neaton,JDらによる論文(Arch. Intern. Med.,152,1490~1500,1995)では、ガン、脳出血、肺疾患などの感染症が多くなるとあります。
それ以前の調査、研究によって、、ハワイ在住の日系人においても同様の傾向が認められています。
また、日系ハワイの高齢者(70歳以上)にあっての調査では、低コレステロールを伴なった高齢者は、慢性感染症や虚弱者の増加を見るとあります。
低コレステロールが先か、結果として、低コレステロール血症になったかを考慮した検討がなされています。
いずれの場合もあるのですが、いずれにしましても、高齢者にあっては、低コレステロールは、死亡率の増加を伴なうことは、間違いのないことと言えます。
我が国にあっても、低コレステロールに伴なった結核を含む肺感染症を代表として、感染症死は、増加するのです。
高齢者にあっての低コレステロールによる障害では、ガン、脳出血、感染症に加えて、再生力や抵抗力の低下に加えて、既に散り上げてきましたように、脳神経系の活力を低下させていると考えられるのです。
既に、何度も述べてきましたように、脳神経系は、グルコースと共に、コレステロールを必要とするレベルは、他の臓器や組織より、強いのです。
それ故に、低コレステロールは、めまい、シビレなどの神経障害やアルツハイマー病などのように認知能力の低下しやすい原因となると考えられています。
私の経験では、高齢で低コレステロール血症が認める場合では、統合的な意識、意欲、活力の低下を招いている人が多いように思えるのです。
また、コレステロールは、細胞膜、細胞核やミトコンドリアなどの細胞小器官、皮膚などの組織にとっての安定化や再生に不可欠な役割を持っています。
それ故に、寝たきりになった人でのと床ずれは、栄養障害性潰瘍と言われますように、その発生、修復に、栄養条件は大切な条件となります。
私は、床ずれの発生予防や修復には、低コレステロールの改善は、重要だと観察しています。
機会があれば、コレステロール値改善による効果を、キチンと検討したいと考えています。
以上、高齢化と低コレステロールについては、今後の臨床的な検討が必要なレベルと言えます。
高齢者の男女にあっての、血中総コレステロール値、取り分け、低コレステロール血症者の分布と特徴について、検討してみましょう。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・BMI/肥満・・その4」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「素肌美障害とコレステロール代謝・・ビタミンD・・その6」を取り上げています)
Thursday, June 28, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・16
気分(感情)障害と低コレステロール
「気分(感情)障害者」が、「2007年版障害者白書」によりますと、アルツハイマー病などの高齢化に伴なう「認知症」ともども増加しているのです。
こうした疾患患者にあっては、低コレステロール血症の人が、少なくないと言われているのです。
精神的不安や意欲の低下などによって、食事も不十分になったり、栄養バランスを崩した結果による低コレステロール症の人も、多いと思います。
最近は、朝食抜きの人や子供が少なくないと、食育の必要性が課題となっているぐらいです。
こうした背景に、低コレステロールが問題となる、生徒や若者は少なくないと思うのです。
前回取り上げましたように、低コレステロールに伴なった、脳内のセロトニン産生が低下したり、セロトニン受容体に問題が生ずると考えられています。
血中コレステロール値低下に伴なった脳内セロトニン代謝障害によって、暴力性、攻撃性などの性格が亢進すると指摘されているのです。
俗に言う、キレヤスクナルと想像できます。
自殺、他殺、事故死が多くなり、トラブルを起こしやすくなるとの指摘があります。
不登校や停学者になる生徒が多くなるとも言われるのです。
低コレステロールが、ステロイド代謝に影響を与えていることも問題になるのではと、私は推察します。
コレステロールから、性ホルモン、副腎の皮質ホルモン、髄質ホルモンなどが合成、分泌されます。
性ホルモンは、性的調節を、副腎では、糖質コルチコイド、ミネラルコルチコイドと、人の情欲、情緒、感情に深く関わってきます。
ストレスホルモンといわれるホルモンも、副腎ホルモンに依存しています。
血圧や血糖も、ステロイドホルモンの影響を強く受けます。
こうした事実は、ステロイドホルモンのアンバランスの原因となり、「気分(感情)障害」を助長する可能性があるとも想像したくなります。
今回は、低コレステロールに伴なった脳内代謝やステロイドホルモンのアンバランスが、そう・うつ、登校拒否などの引きこもり、切れやすさ等々、現代社会にあっての「気分(感情)障害」に関与しているのではと推察中心のお話とします。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、 「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・BMI/肥満・・その3」 を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、 「素肌美障害とコレステロール代謝・・ビタミンD・・その5」を取り上げています)
Wednesday, June 27, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・15
そう・うつなどの気分感情障害者やアルツハイマー病などの認知症が、何故に、低コレステロール血症と関連するかを整理しておきます。
・人の全身のコレステロール量の内、四分の一は、脳に集中しているのです。
つまり、神経細胞やミエリン鞘など、多量のコレステロールを必要としています。
神経細胞膜にあってのコレステロールの必要性を示しているのです。
・脳内では、グルコース代謝同様、コレステロール代謝も、盛んで、必要とするホルモン代謝を独自に行うほどの必要性があるのです。
脳関門を介さないで、必要成分の供給が可能となっています。
・セロトニン作動性神経系は、人の意識を総合的にコントロールする役割を担っているが、コレステロールの関わりが大切と言われています。
セロトニン代謝と関係した抗うつ薬として、近年、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)やセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)が、多用されていることからも、その重要性が推察できます。
・極最近に発表、報道されましたように、コレステロールが神経細胞を成長させる栄養因子(BDNF)がコレステロールの合成をそくして、神経の情報伝達機序を発達させるのです。
ここにも、脳内でコレステロールを合成する必要性があることを示すものとなります。
神経伝達機序の発達は、上述のセロトニンやノルアドレナリンと共に重要であることを示しているのです。
以上より、低コレステロールが如何に、脳の神経、取り分け、意識、感情コントロールに関わっているかの可能性を示すものとなっているかが判ります。
そう・うつやアルツハイマー病などの認知症で、自殺・事故死を増す誘引となっている低コレステロールが、始めからか、結果としてかは、今後の検討、研究が必要なレベルと言えます。
しかしながら、私の経験では、低コレステロールの改善が、うつ傾向の人や心配性の人達の意欲の増加になることは、良く経験するように思います。
自殺者が、三万人を越えた現在、交通事故死が八千人ともども、低コレステロールが精神の健全さに関与している可能性は、重く受け止めている必要があると思います。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・BMI/肥満・・その2」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「素肌美障害とコレうてロール代謝・・ビタミンD・・その4」を取り上げています)
Tuesday, June 26, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・14
昨日(6月25日、2007年)のNHKのテレビ番組で、30歳代の管理職的立場の人達の「そう・うつ」的精神障害者が増加しており、自殺者も増えていると問題にしていました。
既に、紹介しながら取り上げましたように、この6月15日に、政府は、「2007年版障害者白書」を発表しました。
精神障害者は、初めて、303万人と300万人を突破したのです。
取り分け、うつ、アルツハイマー病などの認知症の増加があるのです。
そう・うつ病などの気分(感情)障害者では、90万人。
認知症では、高齢化社会に伴なって、15万人に及んでいます。
そうした背景に、年間の自殺者は、遂に、3万人を越えたのです。
我が国の三大死因のガン、脳卒中、心臓病は、以下の如くです。
ガン死者数は、年間30万人を越えています。
現在、低下傾向を示す脳卒中は、脳出血と脳梗塞に分けられます。
その内、脳出血死は、3万人、脳梗塞は、9万人以下となっています。
心筋梗塞死は、5万人ぐらいとなっています。
以上より、自殺者が、三万人を越えたとの事実は、如何に、我が国の死因として、大きな位置を占めつつあることを示すものとなっていると判ります。
低コレステロール血症によって、ガン死や脳出血死ともども、自殺・事故死が増すとの事実は、既に取り上げています、J-LIT臨床研究の結果にあっても、認められています。
スタチン系薬剤投与によって、ワザワザ、低コレステロールにして、その死者数を増しているのです。
血中コレステロール値が、220~239mg/dlで、自殺・事故死者数は、最低となるのですが、180mg/dl以下となれば、三倍ぐらいの増加となっているのです。
如何に、血中コレステロール値を、180mg/dl以下にすることが危険かということです。
大櫛陽一著「検査値と病気 間違いだらけの診断基準」(太田書店)のp.177で、20歳以上の男女を対象にして、血中総コレステロール値は、180mg/dl以下にしないこと。
また、LDL-コレステロール値では、100mg/dl以下にしないこととあります。
以上の事実は、「気分(感情)障害者」も含めて、如何に、低コレステロールが危険かを示すものだと思います。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・BMI/肥満因子」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「素肌美障害とコレステロール代謝・・ビタミンD3」を取り上げています)
Monday, June 25, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・13
今回は、若者成人の脳卒中発作の原因となりやすい脳低動脈解離症についてとします。
我が国の国立循環器センターでの検討です。
低コレステロール血症及び高血圧が危険因子だったのです。
危険因子として、調査、検討の対象となったのは、低コレステロール血症、高コレステロール血症、血中蛋白量、高血圧、糖尿病、貧血に加えて、喫煙とあるコロール摂取量などでした。
その結果は、以下の如くでした。
・単変量解析結果では、低コレステロール、糖尿病、高血圧が、それぞれ、有意差ある関連性を示しました。
・多変量解析結果では、低コレステロールと高血圧でした。
以上より、低コレステロールが、脳低動脈解離の独立した予測危険因子だと判りました。
低コレステロール血症+高血圧のある人は、要注意となります。
低コレステロールの人は、20~29歳の人達では多いのです。
血中総コレステロール値が、180mg/dl以下の人は、40~49歳の男性では、18.3%、女性では、25.3%に対しまして、20~29歳の男性では、58.5%、女性では、57.3%に上ります。
50~59歳では、男性では、21.0%、女性では、9.2%です。
そして、近年での血中総コレステロール値の平均値の年次推移では、男女共に、20~29歳の人達では、減少傾向にあるように思います。
ダイエット、栄養バランスの悪い食事などの影響となっているのでしょうか。
若年層の人達の血中コレステロール値を、如何なるレベルに保つのが良いかを検討する必要があると思います。
いずれにしましても、誤解のないように注意、記憶すべきは、脳低動脈解離症の発症の危険予測が、高コレステロールではなく、低コレステロールだということです。
既に、何度も述べてきましたように、コレステロールは、細胞膜の安定性には無くてはならない成分なのです。
加えて、人の脳では、全身の総コレステロール量の内で、その四分の一を含むほどの多くを占める程、必要としています。
脳では、グルコースを多く必要としていることは、良く知られたことですが、コレステロールも、同様です。
それ故に、脳では、独自に、コレステロールを合成しているのです。
そして、つい最近、脳の発達には、コレステロールが必須と報じられたばかりですが、コレステロールの重要性の一端を示すものだと思います。
以上、脳出血のみならず、脳低動脈解離症など、血管の安定を損なう危険性を持つ低コレステロールは、危険因子だと言うことです。
(Dr.BERAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・テロメア長と冠動脈硬化症・・その2」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「素肌美障害とコレステロール代謝・・ビタミンD3・その2」を取り上げています)
Friday, June 22, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・12
脳卒中には、脳梗塞と脳出血があります。
その内、脳出血は、既に紹介しましたように、低コレステロール血症で、その発症が増すとの事実は、良く知られたことです。
一方、脳梗塞については、コレステロールとのハッキリした関係は無いとの結果が多いようです。
何度も取り上げましたJーLIT研究では、血中コレステロール値が、180mg/dl以下では、一番死亡が少ないコレステロール値が220~239mg/dlの場合に比して、脳血管死は、3倍ほど増加しているとの結果でした。
浜崎智仁教授が、その著「コレステロールは高いほうが長生きする」(エール出版、2003年)で次のような興味ある指摘(p.115)をしています。
「昔、東北地方で脳卒中の発生が多かった原因として、高度の食塩摂取による高血圧と低蛋白/低脂肪食による血管の脆弱があげられた。
血清コレステロール値も低かったが、食事の改善とともに血清コレステロール値が上昇し、脳出血も減ってきた。」とあります。
当時、東北地方は、大変、貧しい人達が多くて、満足な食生活が出来なかった。
それ故に、カロリー成分としての糖質、脂質に加えて、ビタミン類、必須アミノ酸、必須脂肪酸などの必須成分の摂取が十分でなかったことは、推察できます。
多くの低コレステロール血症の人達が脳出血の犠牲者となったに相違ありません。
こうした事実は、コレステロールが、動脈血管の構造を保つためには、如何に大切かを示すものだと思います。
今日では、誤ったダイエット、偏食等の異栄養が、前述の低カロリーや必須栄養分の欠乏を誘発して、ワザワザ、脆弱な血管状態を引き起こしているのでは。
私たちが、健全に生きるためには、多様な栄養素が必要で、目線を近くに置いた食生活は危険だとになります。
次回に、若者に多い脳低動脈解離の危険因子と低コレステロールについてとします。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・テロメア長と冠動脈硬化疾患」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「素肌美障害とコレステロール代謝・・ビタミンD3」を取り上げています)
Thursday, June 21, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・11
コレステロールは、脳や神経、副腎、その他の臓器に多量に含まれています。
総体重のおよそ0.2%に及ぶのです。
成人の体内コレステロール量が、100~150グラムになることが判ります。
その内の四分の一の25~39グラムは脳に集まっているのです。
つまり、脳神経系はコレステロールを他の組織、臓器より多くを必要としています。
また、末梢神経系やミエリン鞘などでは、コレステロールや脂質が取り囲んでおり、アタカモ、電線がショートしないようにと神経の枝を取り囲んでいるようなのです。
脳、神経系の構造と機能を保つ上で、極めて、重要な役割を果たしているのです。
アルツハイマー病のような認知症にとっても、その脳機能を保つために、脳内でのコレステロール不足は警戒しなければなりません。
高齢者の認知能力が低下し易い原因となると考えられているのです。
男性の高齢者には、低コレステロールが少なくありませんから、特に、要注意となります。
私が診ている高齢者男性でも、低コレステロールの人達では意欲を含めた活力ある意識に問題が多いと思います。
そして、バランスに欠ける不安、こだわり、繰り返しなどで、シツコサが増すなどです。
また、低コレステロールは、めまい、痺れなどの神経障害を訴える人は少なくありません。
以上より、脳神経系にとって、低コレステロールは、その構造と機能から見ても、警戒、注意が必要だといえます。
最近の産業技術総合研究所の小島正己博士が、J.Neuroscienceに発表したと日本経済新聞に報じられましたように(私の楽天ブログで、トピックスとして6月14日に紹介)、 「コレステロール 脳の発達に必須」なのです。
今後、脳神経系にあってのコレステロールの果たす役割が明確にされていくことでしょう。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・12・・全身性動脈硬化症・・その2」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「素肌美障害・・スクアレン(スクワレン)・・その9」を取り上げています)
Wednesday, June 20, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・10
低コレステロール(血中低コレステロール値;180mg/dl以下)に伴なって、自殺死や事故死が増加するとの事実が報告されています。
近年、我が国の三大疾患のガン、心臓病、脳卒中の死亡率は、今や低下傾向にあります。
しかし、自殺死は増加傾向にあり、取り分け、男性の自殺率は上昇しているのです。
そう・うつ病を含む「気分(感情)障害」のある人は、90万人と増加をしています。
こうした背景に、社会的なストレス過多が深く関わっていることがあります。
また、低コレステロールは、男性に多いことが問題となります。
低コレステロールが、うつや暴力性、衝動性などの精神の安定性を欠く原因となるとの指摘がなされます。
加えて、うつのある人達には、低血糖を伴なう人が多いとの指摘があります。
うつなどの精神障害に伴なって、食欲低下ともなり、その結果として、低血糖となることも考えられます。
脳内では、グルコース代謝が盛んなことは、良く知られたことですが、同時に、コレステロール合成も盛んなのです。
それ故に、人が必要とする全コレステロールの内、四分の一は、脳に集中しています。
グルコース代謝とコレステロール合成系は、アセチルーCoAを介して連係をしています。
つまり、低血糖は、コレステロール合成の障害とも密接な関係があるのです。
脳内で、セロトニン代謝とも関連した精神の不安定が、低コレステロールと関係すると考えられと前回には紹介しました。
加えて、低コレステロールが、脳内の神経細胞及び末梢神経線維の障害ともなると推察できます。
アルツハイマー病などの認知症に、低コレステロールが関与するとの指摘は、脳神経細胞系にコレステロールが極めて深い関係にあるといえます。
以上より、低コレステロールが、そう・うつ病や人格障害的な精神のアンバランスに深い関係にあると考えていなければなりません。
食事のアンバランスによる異栄養症や低栄養によるカロリー不足の結果が、低コレステロールや低血糖症となり、精神安定や意欲低下となると念頭において、意識する必要があると思うのです。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・全身性動脈硬化症の危険因子・・その1」を紹介しています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「素肌美障害・・スクアレン(スクワレン)・・その8」を紹介しています)
Tuesday, June 19, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・9
うつ病に伴なった血中コレステロール値が低下するとの報告は多いのです。
しかし、うつに伴なって、食欲の低下、減退が起こった結果として、血中のコレステロール値が下がってしまっていることも、少なくないと思います。
そうした食事摂取量に伴なった減少とは言えないケースも少なくないのです。
つまり、食事調査、体重減少などの変化を考慮しても、低コレステロールが原因としたうつ病や自殺者が増加するとの研究報告が出されているのです。
いずれにしましても、自殺者とうつ病とは、関係が深く、そうした人達に、血中総コレステロール値が低い人が多いとの事実があるのです。
低コレステロール血症によって、攻撃性、暴力性、衝動性、敵意性が増すとも言われるのです。
そうした原因として、脳内のセロトニンが関係しているとの研究があるのです。
セロトニン代謝とうつ病は深い関係にあります。
最近、うつ病やうつ傾向の人にSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み租顔剤)と呼ばれる薬が、良く用いられています。
セロトニンが神経細胞の活性化に関わっているからです。
セロトニン作動性神経細胞の機能低下が、うつ病、うつ状態に関わり、前述のような粗暴性や衝動性を増すといわれています。
加えて、低コレステロールが、脳内のセロトニン産生の低下やそのの作用を働きがたくするのではとも考えられているのです。
まだまだ、低コレステロールと神経、精神との関係は、研究されなければならない課題がほとんどと言えます。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・診断基準の課題」を取り上げています)
(楽天、ミクシイでは、 「素肌美障害・・スクアレン(スクワレン)」を取り上げています)
Friday, June 15, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・8
「コレステロール 脳の発達に必須」と日本経済新聞(6月14日)に報じましたように(私の楽天ブログ・トッピクス!!・・1・・6月14日に取り上げました)、神経細胞が成長するためには、神経栄養因子(BDNF)がコレステロールの合成を促進することが必須なのです。
それ故に、人の体内で必要とするコレステロール量が100~150ミリグラムに及ぶのですが、その四分の一は、脳が占めているのです。
そして、コレステロールは、細胞膜成分として、主要成分であるのですが、脳の神経細胞や末梢の神経線維もコレステロールを沢山必要としています。
必要とするコレステロールは、肝臓で作られて、臓器や組織にLDLーコレステロールとして運ばれているのです。
処が、脳にあっては、運ばれるコレステロールだけでは不十分となるほどのコレステロールが必要なほどで、脳内で、自らの合成も盛んに行っているのです。
つまり、脳にとって、コレステロールは、グルコースともども、重要なキー成分だと判ります。
それ故に、低コレステロールの人では、うつ傾向のみならず、人格障害的な暴力性、衝動性や敵意性を持ったり、自殺・事故死が増えるとの事実が問題となっているのです。
低コレステロール血症は、既に紹介しましたように、血管障害の脳出血に加えて、精神障害とも深い関係があると考えられているのです。
一方、この6月15日の閣議で、「2007年度障害白書」が決定されて、報道されました。
それによりますと、精神障害者の推定が、2005年には、およそ303万人となり、2002年から45万人ほどの増加が認められ、初めて、300万人を越えたのです。
そう・うつ病などの気分・感情障害が、33.3%とモットも多かったそうです。
また、老化が問題となる高齢化に伴なってのアルツハイマー病を含む認知症などの増加も、問題となっています。
こうした脳神経系の疾患予防にとって、コレステロールの果たす役割に注目する必要があるのです。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・催凝固因子・PAI-1など」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「素肌美障害・・スクアレン(スクワレン)」を取り上げています)
Thursday, June 14, 2007
低コレステロールが発症を増す疾患・・7
前回からの続きです。
今回は、脳血管死亡、脳卒中死とありますから、以下に示します、何れの調査も、脳出血と脳梗塞、或いは両疾患の合併による死亡を意味しています。
・ 福井市の男性; 健診受信者37,379人を5年間追跡した結果です。
血中総コレステロール値(TCH、mg/dl)が、221~250のグループに比して、TCHが220以下になると脳血管疾患による死亡率は、低下を始めました。
TCHが、121~220の範囲では、脳血管疾患による死亡率は、ほぼ同様の死亡率でしたが、TCHが221~250のグループに比して、およそ4倍ぐらいの増加となっていました。
TCHが、120以下となれば、5倍以上の死亡率の増加を示しています。
・ 茨城県の調査; 調査対象者は、40~79歳の10万人に及ぶ、5年間の追跡調査。
脳卒中死亡は、TCHが200~219の範囲に比して、TCH199以下で、増加が始まりました。
TCHが、160以下になりますと二倍ほどの脳梗塞死亡が増したのです。
前回の結果も含めて、脳出血を含めた脳卒中は、TCH低下と共に増加するとの結果だと判ります。
心筋梗塞死も、低コレステロールによって、増加するとの結果を考慮しますと、動脈血管の安定化に占めるコレステロールの重要さを示すとの事実だと思います。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・急性期反応蛋白・CRP」を取り上げています)
(楽天、ミクシイでは、「素肌美障害・・スクアレン(スクワレン)」を取り上げています)
Wednesday, June 13, 2007
低コレステロールが発病を増す疾患・・6
既に紹介していますように、アメリカの36万人に及ぶ人達を対象としたMRFIT疫学研究で、血中総コレステロール値が、192mg/dl以下になると、総死亡やガン死が増すことが判っています。
加えて、脳出血死が、感染症死と共に増すことが明らかとなっています。
我が国でも、同様の傾向が報告されていますので、紹介したいと思います。
・ J-LIT研究 ; 既に紹介していますように、スタチン系コレステロール低下薬投与による、心筋梗塞死の減少を期待した臨床試験です。
心筋梗塞死は、血中総コレステロール値(TCH、mg/dl)が、200~219最低でしたが、総死亡は、220~239だったのです。
つまり、我が国で、TCHが正常値が220までと想定されているより高い220~239領域で、死ぬ危険性は減少しています。
しかも、今回話題としています、脳血管死の最低領域のTCHは、220~239でした。
TCHが、200以下に低下していきますと次第に、その死亡率は上昇に転ずるのです。
取り分け、TCHが、180以下となりますと、その死亡の危険は、二倍以上も増しました。
脳には、全身のコレステロール量の内、四分の一を占めています。
つまり、脳神経系は、コレステロールを多く必要とすると同時に、血管を丈夫で、安定に保つために重要な役割を果たしていることを示しています。
今や、脳外科医の世界では、「低コレステロールは脳出血を増す」は、常識となっているのです。
低コレステロールに伴なった、脳出血死の増加は、他の疫学調査でも明らかになっていますので、次回に紹介します。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、 「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・7」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「トッピクス!!・・1・・【コレステロール 脳の発達に必須】と日経新聞が論文紹介」を取り上げています)
Tuesday, June 12, 2007
低コレステロールが発病を増す疾患・・5
前回の続きとして、日本人の疫学調査による、血中総コレステロール値とガン死の増加についてとします。
・ 大阪府八尾市の住民およそ1万人の11年間の追跡調査です。
調査開始から始めの2年間の死亡者は除いてあります。
総死亡は、血中総コレステロール値(TCH,mg/dl)240~279で最低でした。
ガン死は、TCH280以上で最低でした。
ガン死は、TCH240~279を1とした倍率で検討しますと以下の如くでした。
男性では、TCH160~199で2倍となり、160以下に低下しますと2.7倍と増加しました。
女性では、ほとんど変化なしとの結果でした。
つまり、低コレステロールによるガン死の増加は、男性に顕著と言うことです。
前回のNIPPON DATA80での結果と同様の傾向を示しています。
男女合計としてみますと、ガン死は、TCHが160以下となりますと1.8倍ほどの増加と言うことです。
・ 茨城県の大規模調査です。
40~79歳までの脳卒中に罹ったことのある人は除いた、男性32,705人、女性63,959人の合計96,664人を対象とした5年2ヶ月間の追跡調査です。
ガン死は、TCH240以上で、最低となり、TCH220~239を1としますと、TCH160~179で1.5倍に増加したのです。
TCH160以下となりますと、更に増加して、2.3倍ほどの増加となりました。
今回のシリーズで取り上げてきました国内外のガン死と血中総コレステロール値との関係をまとめますと以下の如くとなります。
ガン死は、TCHが低めの200以下で増加傾向となり、180以下となれば有意差を持って、増加するとなります。
逆に、ガン死は、TCHが増せば、低下するとの結果だと判ります。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・6」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、「ダイエットなどによる低コレステロールとなれば、何故に、美肌障害となるか・・スクアレン(スクワラン)・その4」を取り上げています)
Monday, June 11, 2007
低コレステロールが発病を増す疾患・・4
今回は、我が国内での疫学的な検討です。
スタチン系薬剤投与による血中コレステロール値低下による影響を検討したものではありません。
地域の人達の健診受信者などでフォローした疫学調査によるものです。
・ 福井市男性(37、379人)の5年間追跡でのガン死危険; 血中総コレステロール値(TCH,mg/dl)が、221~250に対して、130~220では、4倍以上の増加。
・ NIPPON DATA80(NIPPON研究)では、全ての死因を含めた場合に死亡危険度が最低だったのは、TCHが、240~259でした(5年間の追跡死亡率)。
ガン死はTCH240以上に対して、男性では、TCH200~230で3.5倍の増加。
TCH160以下では4.2倍ほどの増加でした。
女性では、TCH200~239で、0.6倍の低下、160以下では2倍以上の増加を見ました。
男女合計のガン死では、TCH240以上に対して、200~239で、1.5倍、160~199で、2.5倍、160以下で、3倍との結果でした。
以上、福井市、NIPPONN DATA80のいずれにあっても、TCHが高値となるほど、ガン死の減少となり、低値になるほど、ガン死の上昇を見るとの共通があります。
既に取り上げましたように、低コレステロール値となれば、アメリカでの調査結果、J-LITでの結果と同様の傾向を持つと判ります。
次回に続くとします。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子・・5」を取り上げています)
(楽天ブログ・ミクシィでは、 「ダイエットなどによる低コレステロールとなれば、何故に、美肌障害となるか・・スクアレン(スクワレン)・その3」を取り上げています)
Saturday, June 09, 2007
低コレステロールが発病を増す疾患・・3
低コレステロールによる日本人のガン死増加の事実を示す報告は沢山あります。
浜崎智仁著「コレステロールは高い方が長生きする」(エール出版)、大櫛陽一著「検査値と病気 間違いだらけの診断基準」(太田出版)、浜六郎著「コレステロールに薬はいらない」(角川書店)等の本にあって、一般の人々にも判りやすく解説されています。
既に、何度も紹介していますが、J-LIT(Japan Lipid Intervention Trial)と呼ぶ、大規模臨床研究に、まず、注目です。
このJ-LIT研究は、スタチン系の血中コレステロール低下薬を、全国の約5万人の高コレステロール(≧220mg/dl)患者を対象にして投与、5年以上の追跡がなされた疫学研究・コホート試験です。
この試験で注目されるのは、スタチン系薬剤投与によって、コレステロール低下の有用性を期待した研究だからです。
つまり、出来るだけ、意識的、無意識的にしても、スタチン系薬剤の有効性を期待しているからです。
しかし、予想に反して、死亡率が、最も低かったのは、血中コレステロール値が220~240mg/dlだったのです。
しかも、ガン死は、血中コレステロール値が低下するほど増加したのです。
逆に、血中コレステロール値が上昇するほど、ガン死は減る結果だったのです。
血中コレステロール値が280mg/dl以上に対して、180mg/dl以下に低下させると、ガン死増加は4倍以上となりました。
ガン死のみならず、脳出血、感染症、事故・自殺死、突然死などによる総死亡は、コレステロール値が200mg/dl以下で増加傾向となり、180mg/dl以下になると最低域の220~240mg/dlに比して、三倍近くの増加となってしまったのです。
前回取り上げましたように、アメリカでの結果と同様に、コレステロール低下によって、ガン死のみならず、総死亡も増すとの事実と一致することになります。
アメリカでの疫学研究とJ-LIT研究との違いは、JーLITでは、スタチン系薬剤投与によって、わざわざ、コレステロール値を低下させた場合の結果だと言うことです。
次回には、我が国で血中コレステロール値と ガン死との関係を追跡した疫学・コホート研究を検討します。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシィでは、「ダイエットなどによる低コレステロールとなれば、何故に、素肌美障害となるか・・スクアレン(スクワレン)・その2」を取り上げていま
Friday, June 08, 2007
低コレステロールが発病の危険を増す疾患・・2
低コレステロールに伴なって、その発病の危険を増すのは、ガンなのです。
血中総コレステロール値(TCH)が、200mg/dl 以下になるとガン死は増加を始めます。
取り分け、TCHが180mg/dl如何になると有意差を持ってガン死の増加を見るとの報告は沢山あります。
逆に、ガン死者は、TCHが高くなるほど減少するとの結果になっています。
そうした事実は、コレステロールは、人の生命の基本単位となっている細胞膜の構成成分として25%を占めて、細胞膜の安定化に不可欠であり、細胞核の遺伝子発現にとって重要な役割を持っているのです。
また、人の体内にあって、コレステロール合成系は、同時に、ドリコールやコエンザイムQ10の合成には不可欠であるのです。
ドリコールは、細胞膜の表面を構成する糖タンパク質の合成にキーとなる役割を果たしています。
つまり、それぞれの細胞の役割を決める重要な糖タンパク質の合成にかかわっているのです。
細胞特性の代表として、免疫細胞や血液型なども、糖タンパク質が決めているのです。
以上より、コレステロールとその代謝系が、如何に、生命規序を保つために重要かと判ります。
そこで、まず、アメリカでのガン死とコレステロールについての報告から紹介します。
アメリカ国立心血管研究所(NHLBI)の研究では、低コレステロールによって、肺ガン、呼吸器疾患、消化器疾患、外傷その他による死亡が増すとあります。
また、アメリカのおよそ36万人を対象とした有名な疫学研究・MRFIT研究で、TCH192mg/dl以下で、ガン死や総死亡率が高くなることが報告され、脳出血と共に増加すると判っています。
低コレステロールの男性では、ガンや脳出血、肺ガンや肺感染症などの肺疾患が増加するとの調査結果となっています。
また、低コレステロールの高齢女性では、肺ガンが多くなると報告されています。
同様の傾向を示す報告は、ドイツでもなされているのです。
ハワイの日系米国人を対象とした調査でも、TCHが180mg/dl以下のグループでは、270mg/dl以上のグループと比較した場合、ガン死は、およそ2.3倍ほど増加したのです。
次回は、日本人を対象とした報告を紹介します。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の新たなる危険因子」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシィでは、 「ダイエットなどによる低コレステロールとなれば、何故に、素肌美障害となるか・・スクアレン(スクワレン)」を取り上げています )
Wednesday, June 06, 2007
低コレステロールが発病の危険を増す疾患・・1
血中の総コレステロール値が、200mg/dl以下になると、それに伴なって、総死亡の危険が増す、つまり、死亡率は上がるとのお話は、既に、何度も、私の関連するページで取り上げてきました。
取り分け、コレステロール値が、180mg/dl以下となれば、その死亡の増加の危険は、増してしまうのです。
増加する死亡の原因となる疾患の代表が、ガン、脳出血、感染症、事故・自殺死なのです。
また、心筋梗塞を始めとする心血管イベントによる死亡も増加してしまいます。
その理由は、コレステロールは、人の命の基礎単位と言えます細胞の細胞膜を構成する必要にして、不可欠な成分となっているからです。
その細胞膜の脂質成分の25%を占めています。
その25%のコレステロールは、細胞膜の安定化と必要に応じた流動性を保つためには不可欠なのです。
また、コレステロールは、脳や神経組織、副腎、その他の臓器に多量に必要で、総体重のおよそ0.2%(100~150グラムとなる)におよびます。
成人の体内に占める100~150グラムのコレステロールの内、その四分の一は脳に集中しているのです。
それ故に、コレステロールは、脳神経系と深い関係にあり、神経障害、精神的安定性のみならず、認知障害にも大きな影響を与えます。
つまり、コレステロールは、脳神経系の疾患予防にキモともいえるのです。
そこで、低コレステロール血症に伴なって増すことになる疾患について知っておきましょう。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、 「動脈硬化性疾患予防の新たなる危険因子」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシィでは、 「ダイエットなどによる低コレステロールとなれば、何故に、素肌美障害となるか」を取り上げています)
Monday, June 04, 2007
低コレステロール値を補うニードに答える・・14
日本人のLDL-コレステロール値と死亡率・・3
日本人の糖尿病患者とLDL-コレステロール値
大櫛陽一著「検査値と病気 間違いだらけの診断基準」(太田出版)に、「大櫛陽一、糖尿病ではコレステロールをどこまで下げる必要があるか、性差と医療、3,223-230,2006」よりの紹介を行っています。
それによりますと以下の如くです。
男性では、血中のLDL-コレステロール値が、130~159mg/dlで、モットも、死亡率が低かったのです
それに対応する総コレステロール値は、ダイタイにして200~235mg/dlに相当します。
LDL-コレステロール値が、160mg/dl以上となりますと死亡率は上昇となります。
取り分け、≧190mg/dlとなりますと急激な死亡率増加となりました。
一方、LDL-コレステロール値が130mg/dl以下となっても、死亡率の増加を示しています。
LDL-コレステロール値が100mg/dl以下では、死亡率の増加は強くなっています。
女性については、LDL-コレステロール値と死亡率の関係は、ハッキリしませんでした。
LDL-コレステロール値が、≧190mg/dlで死亡率は最低を示し、次が、100~129mg/dl、160~189mg/dl順番となっています。
一番死亡率が高かったのが、130~159mg/dlとなり、<100mg/dlと、ほとんど、その死亡率に差はありませんでした。
以上の結果は、女性にあっては、LDL-コレステロール値と死亡率には、特別の関係なしとなります。
以上の事実を踏まえて、大櫛グループによる「コレステロール治療ガイドライン」には、糖尿病患者にあってのLDL-コレステロール値は、以下の如くとなっています。
非喫煙者 ; 男性では、100~180mg/dl, 女性では、100~190mg/dl
喫煙者 ; 男性では、100~160mg/dl, 女性では、100~190mg/dl
日本動脈硬化学会による「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版」では、男女差による相違は示していません。
糖尿病に関する基準ではなくリスク数による基準となっています。
そのリスクの程度から糖尿病についての想定です。
中程度のリスク患者では、<140、高リスク患者では、<120とあります。
冠動脈疾患の既往症がある人では、<100mg/dlとなっています。
LDL-コレステロール値の基準については、従来の「動脈硬化性疾患診療ガイドライン2002年版」と同じです。
しかし、こうした基準によるスタチン系のコレステロール低下薬で「積極的脂質低下治療を行った代表的な臨床試験」として、「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版」のpp.42~43に紹介している成績結果では、肝心の「心血管死亡」には、「NS」(Not Significant)とあります。
つまり、「心血管死」を減らすと言えるような治療効果は認められなかったと言うことです。
我が国のスタチン系薬剤費は、3000億円に及ぶと言われています。
こうしたお金を投与しても、「心血管死亡」を減らしていないと言うことは、その診療基準に問題があると示唆しています。
もう少し、LDL-コレステロール値に対する診療基準をキチンと検討する必要があると思います。
その意味で、大櫛グループのLDL-コレステロール値に対する基準に注目することが必要だと思いませんか。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「動脈硬化性疾患の予防と治療ガイドライン」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシィでは、 「ダイエットなどによる低コレステロールとなれば、何故に、素肌美障害となるか」をとりあげています)
Wednesday, May 30, 2007
低コレステロール値を補うニードに答える・・13
日本人のLDL-コレステロール値と死亡率・・2
LDL-コレステロール値(LDL-C,mg/dl)と日本人の死亡率についての疫学調査結果が、大櫛陽一著「検査値と病気 間違いだらけの診断基準」(太田書店)に取り上げられていますので紹介します。
一次予防としての結果です。
既に、総コレステロール値と5年死亡率として、福島県郡山市と神奈川県伊勢原市の2市を統合したデータとして紹介しました調査に基づきます。
今回も、2市を統合したデータとなっています。
途中、転出し生死が不明になったり、調査開始から一年以内の死亡者は対象から外されています。
五年間の追跡された人は、男性9540人、女性1万8942人でした。
対象年齢の平均は、男性が65.5歳±10.0、女性では、62.6歳±10.8でした。
その結果は、以下の如くです。
LDL-Cが、120~159mg/dlで、男女いづれにあっても、5年死亡率はモットも低かったのです。
一方、LDL-Cが119mg/dl以下になると、120~159mg/dlを基準として検討しますと5年死亡率は増加傾向となります。
女性では、LDL-Cが119mg/dl以下になると有意差を持って、5年死亡率は上昇となりました。
男性では、LDL-Cが、80~119mg/dl では、男性の集団数が増えれば有意差を示す可能性が高いレベルでした。
しかし、80mg/dl未満では、統計的な有意差を示した5年死亡率の増加となりました。
以上の結果から、男女共に、160mg/dlでは、LDL-Cは問題ないとなります。
大櫛グループによるコレステロール治療ガイドラインについては、「Dr.BEAUT/ソフィーリッチ」で、既に紹介しました。
その診断基準によります、50歳以上では、男性がLDL-Cが180mg/dlまでを正常としています。
女性は、190mg/dlまでを正常としています。
逆に、男女共に、LDL-Cは、100mg/dl以下にしないこととあります。
つまり、LDL-Cが低値となる方が危険なのです。
その大櫛グループ診断基準での血中総コレステロール値は、180mg/dl以下にしないこととあります。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチは、 「高コレステロール治療ガイドライン」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシイでは、本日は、「ダイエットなどによる低コレステロールとなれば、何ゆえに、素肌美障害となるか」を取り上げています)
Tuesday, May 29, 2007
低コレステロール値を補うニードに答える・・12
日本人のLDL-コレステロール値(LDLーC)と死亡率・・1
日本動脈硬化学会は、従来の高脂血症の病名を「脂質異常症」と改め、その診療指針から「血中総コレステロール値」を、その基準を定め難いと削除しました(動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版」。
そして、脂質異常症の診断基準は、従来どうりに、LDL-Cは、≧140mg/dl, HDLーCは,<40mg/dl, トリグリセライド(TG)は,≧150mg/dlとしています。
HDL-CとTGは、メタボリックシンドローム(代謝症候群、メタボリック症候群)と同様の基準となっています。
しかしながら、メタボリックシンドロームには、LDL-Cは診断基準に含まれていません。
ここで問題は、血中総コレステロール値に代わって、前面に登場したLDL-Cが、≧140mg/dlが適切であるかどうかが問題となります。
アメリカのNCEP ATPIIIと言うコレステロール教育プログラムでは、LDL-Cは≧160mg/dlと、心筋梗塞が我が国より多発するにもかかわらず、コレステロール値と同様、我が国より高値の基準となっています。
結局、我が国では、「脂質異常症」と病名は変わっても、心は、血中総コレステロール値は、220mg/dlにあるのです。
そのことは、「日本動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版」(協和企画)のページ13にありますように、「血中総コレステロール値220mg/dlを採用し、この値に相当するLDL-C140mg/dlを高LDL-C血症の基準と定めた」のです。
そこで、大櫛陽一著「検査値と病気 間違いだらけの診断基準」(太田出版)に、如何様なLDL-Cとコメントされているか検討をして見ます。
次回とします。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチには、本日は、「我が国での積極的なスタチン系薬剤投与による心血管死予防」について紹介しています)
(楽天ブログ、ミクシィには、本日は、「ダイエットや栄養アンバランス、精神不安などによる低コレステロール血症のローコレステアラームIによる改善」を取り上げています)
Monday, May 28, 2007
低コレステロール値を補うニードに答える・・11
何故に、高脂血症の病名は消え、
血中コレステロール値は診断基準から削除されたか・・9・・
日本の血中コレステロール値と死亡率・・6
日本動脈硬化学会血中コレステロールによる動脈硬化性疾患の診療上の基準とされてきた、1997年の「高脂血症診療ガイドライン」や2002年の「動脈性疾患診療ガイドライン」にしたがって、一次予防、二次予防として、血中コレステロールの値のみならず、LDL-コレステロールや中性脂肪を低下させる臨床試験が行われてります。
その結果が、今回の日本動脈硬化学会による「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版」(協和企画)に掲載されています。
二回にわたって、本日及び次回の「Dr.BEAUT・ソフィーリッチ」の「高コレステロール治療ガイドライン」で、そのデータを取り上げます。
一次予防にあっても、二次予防にあっても、肝心の心血管死亡の低下率%に有効性を認めていません。
また、その他の疾患を含めた総死亡率%の低下に意味なしとなっています。
つまり、スタチン系薬剤を投与する意味が、「コストー有益性」があるとはいえないのです。
それでは、今回の「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版」の病名を「脂質異常症』と改め、「コレステロール値」を削除した『診療指針』で、意味ある改定が成されたかとなります。
今までの二度の改定が、自らの出版本「日本動脈性疾患予防ガイドライン2007年版」のページ40~43に取り上げているような結果を踏まえた改定となっていなければならないと思うのです。
しかしながら、前回の改定で、既に、血中コレステロール値の基準は、定め難く、参考値としています。
それを今回は、『コレステロール値』は、参考値としても削除して『病名』変更による改定となったのです。
ところが、実際の改定は、コレステロールを除いた他のLDL-コレステロール値、HDL-コレステロール値及び中性脂肪値(トリグリセライド値)は同じ基準なのです。
そして、一次予防には、検査値が異常となったら、即、スタチン系薬剤投与などの治療ではなく、「まず、生活習慣の改善を行った後、薬物治療の適応を考慮する」と『治療の方針の原則』に付け加えられ他のです。
また、二次予防では、「生活習慣の改善と共に、薬物治療を考慮する」となったのです。
しかしながら、コレステロール値を削除して、LDL-コレステロール値を据え置いて、実態は変わっていないと言えます。
前回述べましたように、日本動脈硬化学会だけによる改定では、「心血管死亡」のみならず、ガン死等も含めた「総死亡」の抑制とはならない“オタク思考”の改定ばかりとなりかねないと思えてなりませんが、皆さん如何でしょう。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、「我が国の代表的なスタチン系薬剤による大規模臨床試験・・一次予防」について書いています)
(楽天ブログ、ミクシィには、「低コレステロールとなる低栄養及び異栄養症・・精神不安」について書いています)
Thursday, May 24, 2007
低コレステロール値を補うニードに答える・・10
何故に、高脂血症の病名は消え、
血中コレステロール値は診断基準から削除されたか・・8・・
日本の血中コレステロール値と死亡率・・5
日本動脈硬化学会による編集本(2007年4月)・「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版」にあっての、今回の血中総コレステロール(TC)値を削除して、LDL-C(LDL-コレステロール)値を定めた理由は、次のように記されています(pp.12~13)。
「TC値の上昇に伴ない、冠動脈疾患発症率・死亡率は連続的に上昇し、明確な閾値は認められないので、高TC血症の境界を設定することは困難と思われる」からなのだそうです。
それならば、今までは、「何故に、国民的な “高コレステロール血症” の「基準値」を、「冠動脈疾患」が、著しく多い、欧米より低いTC値220mg/dlと定めてきたのか」と問いたくもなります。
次に、「高LDL-C血症」の基準値を≧140mg/dlと定めたかは、以下の如くとなっています。
「米国のガイドラインであるNCEPにおいては、高コレステロール血症の基準をMRFITでのTC値と冠動脈疾患による死亡率の関係から、相対危険度がTC値240mg/dlのリスクに比べ2倍となる240mg/dlとしている。
以上のことを考慮して、冠動脈疾患の予防と治療の立場から見た日本人のスクリーニング基準値としてNIPPON DATA80で示された相対危険度がTC値160~179mg/dlに対して、約1.5倍となるTC値220mg/dlを採用し、この値に相当するLDL-C値140mg/dlを高LDL-C血症の基準値と定めた。」のです。
これでは、高TC値の境界を決め難いと削除しておきながら、LDL-C値を決めるに当たって、TC値220mg/dl採用しています。
これでは、「動脈硬化性疾患診療ガイドライン2002年版」のTC値220mg/dl表示は、今や、ガン死などの総死亡率の上昇に、表示するのは耐え難くなって、削除し、実質的には、LDL-Cは据え置いた「脂質異常症」の誕生と言われかねません。
私は、「血中脂質値」と「総死亡の危険」に加えて、同じ動脈硬化性疾患の予防を目的とする「メタボリックシンドローム(代謝症候群、メタボリック症候群》」との整合性ある統一基準とすべきだと思います。
また、この時代、色々、勘ぐられないように、「メタボリックシンドローム」の診断基準を決めたように、関連領域の学会の人達による合同委員会でも編成して決めた方が健全と思うのですが。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、本日、「高コレステロール治療のガイドライン・・8」です)
(楽天ブログ、ミクシィでは、本日、「低コレステロール値の原因となる疾患・・ダイエット & 栄養アンバランスなどによる低栄養や異栄養症」です)
Wednesday, May 23, 2007
低コレステロール値を補うニードに答える・・9
何故に、高脂血症の病名は消え、
血中コレステロール値は診断基準から削除されたか・・7・・
日本の血中総コレステロール値と死亡率・・4
大櫛陽一著「検査値と病気 間違いだらけの診断基準」(太田出版、2006年、5月)のpp.35~36の「総コレステロールを下げると死亡率が上がる日本人」のチャプターに、既に、取り上げましたように、神奈川県伊勢原市と福島県郡山市のデータの他に、大阪の八尾市と守口市、福井市、茨城県での追跡調査で、低コレステロールに伴なう死亡率の増加が、同様に認められると紹介されています。
浜六郎著「コレステロールに薬はいらない!」(角川書店、2006年、9月)には、前回紹介の「NIPPONN研究」のデータの他に、八尾市、茨城県の大規模調査が、JーLIT研究と共に、pp.39~81かけて取り上げられています。
また、p.81~88にかけては、韓国人男性、日系アメリカ人男性、オランダの高齢者を対象とした調査による「低コレステロール値」と「ガン死などによる総死亡の増加」を取り上げています。
八尾市のデータでは、血中総コレステロール値が、240~279mg/dlで、総死亡の危険度は最低となり、男女合計を見ると160mg/dl以下では、1.6倍の総死亡危険度の増加となっていました。
但し、コレステロール値が280mg/dl以上となれば、男女合計の総死亡危険度は、1.6倍と、ほぼ低下の場合と同程度の増加となっていました。
ガン死では、血中総コレステロール値が、280mg/dl以上で、死亡危険度は最低となり、160mg/dl以下となれば、男女合計では、1.8倍ほどのガン死増加となっているのです。
男性でのガン死増加は、160mg/dl以下では2.7倍とあります。
但し、女性でのガン死増加は、認められていませんでした。
次に、茨城県で大規模調査では、次のようでした。
コレステロール値が240mg/dl以上を基準として、コレステロール値低下に伴なって、心筋梗塞死は、僅かな減少傾向、脳卒中は、僅かな増加傾向にありました。
しかし、総死亡率は、240mg/dl以上に対して、160mg/dl以下では二倍の増加となっています。
ガン死では、二倍以上の増加が認められてたのです。
以上から、低コレステロールに伴なって、総死亡の増加、ガン死の増加は、海外も含めて、事実だと言えます。
こうした調査での死亡率やガン死の増加は、調査期間が5,6年以上で、既に認められると言うことです。
以上のような「低コレコレステロールに伴なうガン死を含む総脂肪の増加」の事実は、今回の日本動脈硬化学会の「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版」で、「脂質異常症」への病名変更と診断基準からの「血中コレステロール値」の削除につながったと思います。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、本日、「高コレステロール治療のガイドライン・・7」を取り上げています)
(楽天ブログ、ミクシィでは、本日は「低コレステロール血症の原因となる疾患・・肝機能障害・・5」です)
Tuesday, May 22, 2007
低コレステロール値を補うニードに答える・・8
何故に、高脂血症の病名が消え、
血中コレステロール値は診断基準から削除されたか・・6・・
日本の血中総コレステロール値と死亡率・・3
前回取り上げました日本動脈学会が、根拠的データとする「NIPPON DATA]は、浜六郎著「コレステロールに薬はいらない!」(角川書店、2006年9月)によると「NIPPON研究」として紹介されています(pp.43~46)。
前回紹介しましたような2007年度の論文が出る前で、14年間の追跡調査結果です。
その紹介は以下の如くでした。
まず、コレステロール値と死亡危険度が示されています。
死亡危険度がモットも低かったのは、男女共に、血中総コレステロール値が240~260mg/dlだったのです。
取り分け、女性では、コレステロール値が160以下の人達で、二倍以上に死亡危険度は増しました。
更年期以後の女性で、低コレステロール血症の人は、要注意と言うことです。
男性では、1.5倍ほどで、女性よりは低めでした。
死亡危険のみならず、14年後の「自立率」も、死亡危険度が最低だったコレステロール値が240~260mg/dlの人達で、モットも多かったのです。
ここで、自立率とは14年後に生きて、人の世話にはならずに身の回りは自分で出来る人の割合を示します。
つまりは、心身共に元気度のがよかったと言うことになります。
次に、ガン死と血中コレステロール値についての結果です。
低コレステロールとガン死については、逆に、男性で、その危険は増加していました。
ガン死は、コレステロール値が増せば、低下するとの事実は、既に、J-LIT研究の時に説明しました。
このNIPPONN研究では、血中コレステロール値240mg/dlを1として、その倍率は以下の如くでした。
男性では、コレステロール値が160mg/dl以下では、240mg/dlに比して四倍以上のガン死の増加となっていました。
女性では、二倍を越えるぐらいでしたが、男女合計で三倍となっていました。
以上より、日本動脈硬化学会が脂質値を決めるために重要視するNIPPON DATA(NIPPON 研究)にあって、老化に伴なった「自立度」、心筋梗塞死を含む全体の「死亡危険度」、「ガン死」は、血中コレステロール値が「240~259mg/dl]で最低を示し、「260mg/dl]の「高コレステロール」より、「低コレステロール」の方が、全体の「死亡危険度」、「ガン死危険度」にあっても高いとの結果だったのです。
コレでは、「血中総コレステロール値」を診療、診断基準から削除しなければならない結果と言わざる負えません。
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチでの本日のテーマは「高コレステロール治療のガイドライン・・6」です)
(楽天ブログ、ミクシィでは、 「低コレステロール血症の原因となる疾患・・肝機能障害・・4」です)
Monday, May 21, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・7
何故に、高脂血症の病名は消え、
血中総コレステロール値は診断基準から削除されたか・・5・・
日本の血中コレステロール値と死亡率・・2
今回から、浜六郎著「コレステロールに薬はいらない!」(角川書店、2006年9月)から、日本人を対象とした総コレステロール値と死亡率のお話に移ります。
先ず、「NIPPON研究」(NIPPON DATA;National Integrated Project for Prospective Obseravation of Non-communicable Disease And its Trends in the Age)と言われる1980年に開始された、我が国の対象者が全国の300地区からのランダムサンプルで選んで、厚労省による国民的なプロジェクトによる追跡調査を行っている研究からの検討です。
一万人近い人達の調査追跡で、現在も、5年おきに65歳以上の生存者に調査が行われています。
今回の日本動脈硬化学会による、「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年版」で、血中コレステロール値を削除した理由となるデータは、この研究によっていると言えます。
そのガイドラインに次のような記載があります(動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007版、日本動脈硬化学会編、協和企画、2007年4月)。
「NIPPONN DATA80にて男女合計のTC(血中総コレステロール値)160~179mg/dlの群に対して200~219mg/dlの群では冠動脈疾患死亡の相対危険度が1.4倍、220~239mg/dlでは1.8倍になる」とあります。
しかし、ツズイテ、「TC値の上昇に伴ない、冠動脈疾患発症率・死亡率は連続的に上昇し、明確な閾値は認められないので,高TC血症の境界を設定することは困難と思われる。」となったからなのです。
その根拠となった論文は、OKAMURA T らによる「for the NIPPONN DATA80 research group : The relation between serum total cholesterol and all-cause or cause-specific mortality in a 17.3-year study of a Japanese cohort. Atherosclerosis,190,216-223,2007」。
しかし、動脈硬化学会によるガイドラインには、ガン、脳出血、感染症、事故・自殺などを含めた総死亡とコレステロール値やLDLコレステロール値についての検討がなされて決められたものではなく、あくまでも、「動脈硬化性疾患予防としてのガイドライン2007年版」だとの認識が必要です。
一般の人達が、そうしたガイドラインだとわかるような情報発信をする必要があると思います。
そこで、浜六郎著「コレステロールに薬はいらない!」の「NIPPONN DATA」の「NIPPONN研究」紹介の解説に移ることにします。
(楽天ブログ、ミクシィは、本日、「低コレステロール血症の原因となる疾患・・5・・肝機能障害・・3」を取り上げています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに、本日は、「高コレステロール治療ガイドライン・・5」を取り上げています)
Sunday, May 20, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・6
何故に、高脂血症の病名は消え、
血中総コレステロール値は診断基準から削除されたか・・4・・
日本の血中総コレステロール値と死亡率・・1
我が国にも、血中コレステロール値が下がるとガン、感染症、事故・自殺等による死亡率が上がるとの報告は沢山あります。
前回に続いて、大櫛陽一著「検査値と病気 間違いだらけの診断基準」(太田出版、2006年5月)に紹介してある神奈川県伊勢原市(人工10万人)と福島県郡山市(人口30万人)を対象とした五年間にわたる老人基本検診受診者の調査結果です(pp.35~36)。
一年以内の死亡者は除いてあります。
また、両市でのベースラインでのガン検診の異常率には差が無かったとのことです。
それ故、「もともとガンでコレステロール低かった」との指摘を排除するためす。
転出したりしてフォロー不能になったり、一年以内の死亡者を除いて、追跡可能だったのは、男性9540人、女性1万8942人でした 平均年令は男性65.5歳、女性62.6歳でした。
その結果は以下の如くです。
伊勢原市と郡山市の両市を統合した男女別々の「血中総コレステロール値と五年死亡率」として整理です。
合計で、2万8482人のまとめとなります。
男女共に、血中総コレステロール値が220~239mg/dlで死亡率は最も低かったのです。
そして、総コレステロール値が200~219mg/dl以下になると死亡率は上がり、160~179mg/dl以下になると男女とも、統計的な有意差を持つほどに、五年死亡率は上がってしまいます。
血中総コレステロール値が179㎎/dl以下になると低下すればするほど五年死亡率は上昇したのです。
しかも、日本動脈硬化学会が基準値としていた220mg/dl以下で、死亡率が上がってしまう結果だった事を示しています。
一方、血中総コレステロール値が240mg/dl以上になっても死亡率は上昇しました。
しかしながら、男女共に、最低死亡率だった220~239mg/dlに比して、有意差ある死亡率上昇とはなっていませんでした。
つまり、血中総コレステロール値低下で死亡率が上がるとの結果は、前回紹介しました、日系ハワイ人男性での結果と総コレステロール値210~239md/dlで一番死亡率が低かったとの一致すると判ります。
また、p.108には、白崎昭一郎の研究論文として、福井市男性3万7379人の五年間の追跡調査として5年死亡率を示しています。
その結果では、ガン死は、血中総コレステロール値が250mg/dlで最低となり、コレステロール値が下がれば下がるほど増すとの結果でした。
また、脳血管死、その他の死因にあっても、ガン死と同様な傾向でした。
心疾患死亡は、221~250mg/dlのコレステロール値で最低を示し、250md/dl以上では上昇でした。
しかし、心血管死の上昇にあっても、220mg/dl以下で死亡率は上昇傾向を示し、130mg/dl以下になると250mg/dl以上の死亡率以上の死亡率増加を示しています。
この福井市の結果では、血中総コレステロール値は、「低ければ低いほど危険」といえるものです。
次回は、浜六郎著「コレステロールに薬はいらない!」(角川書店、2006年9月)より、日本人対象の血中総コレステロール値と死亡率についての成績を紹介したいと思います。
(楽天ブログ、ミクシィに、本日は「低コレステロール血症の原因となる疾患・・4」を書いています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに、本日は「高コレステロール治療ガイドライン・・4」を書いています)
Thursday, May 17, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・5
血中総コレステロール値は診断基準から削除されたか・・3・・
米国人と日系ハワイ人男性のコレステロール値と死亡率
MRFITといわれる米国人男性35万以上(35~57歳)を対象とした総コレステロール値と死亡との関係を観察した疫学調査があります。
12年間も追跡して、2万五千人ほどの死亡を観察しています。
もう一つ、米国人の日系ハワイ男性で8千人近い人達を血中コレステロール値と死亡を対象として、18~21年追跡して、2千人以上の死亡を観察した疫学調査があります。
それぞれの結果を概観したいと思います。
話題の大櫛陽一著「検査値と病気 間違いだらけの診断基準」(太田出版、2006年)のpp.105~109に上手くまとめてあります。
その本を参考にしてお話します。
MFRITです。
心血管系疾患での総コレステロールレベルとその死亡リスクでは、コレステロール値が240mg/d(以後・mg/dlは省略)l以上で上昇して、160にかけて死亡リスクは減少しました。
それに、ガン死とその他、感染症などでの死亡を追加しますと死亡率は様相は穏やかとはいえません。
つまり、ガン死は240以上で減少して199以下で上昇に転じ、160以下では1.3倍の増加となりました。
その他の感染症、事故・自殺、脳出血などによる死亡にあっては、やはり、199以下で上昇に転じ、160以下では1.6倍以上の増加となったのです。
その結果として、全体の相対死亡率は、コレステロール値200~239を基準とすると1.2倍ほど増すとなります。
次に、日系ハワイ人男性のデータはつぎのようです。
冠動脈疾患、つまり、心筋梗塞死は、コレステロール値が230mg/dl(以後mg/dlは省略)以下ではほぼ横ばいでした。
ガン死は、コレステロール値が270に比して、180以下では二倍以上の死亡率となりました。
そして、冠動脈疾患、ガン、事故、その他の原因による総死亡率は、死亡が最低となる210~239に比して、180以下では1.3倍ほどの増加となったのです。
また、180以下でのガン死は冠動脈心疾患死に比して、3.8倍ほど多いのです。
つまり、血中コレステロール値が180以下の低コレステロール値のよる死亡の方が、総死亡で判定すると危険が高いということです。
この結果は、既に取り上げました、我が国のJ-LIT研究と同様の傾向を示していると判ります。
これでは、低コレステロールの意味を問い直す必要があるのは当然と言えます。
その他の国内調査についても、次回取り上げましょう。
(楽天ブログ、ミクシィに、本日は「低コレステロール血症の原因となる疾患・・3」を書いています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに、本日は「高コレステロール治療ガイドライン・・3」を書いています)
Wednesday, May 16, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・4
血中総コレステロール値は診断基準から削除されたか・・3・・
日本人の血中コレステロール値と死亡率
我が国は、心臓病死は、前述しました如くに少ないのにもかかわらず基準値としての正常範囲を心臓病の多い西欧が240mg/dlに対して、220mg/dlと低く定めていました。
2004年の血中総コレステロール値が220~239mg/dlの範囲にある人は、男性で、14.9%、女性で17.4%に及びます。
つまり、コレステロール低下薬の対象が増えることになるのです。
しかしながら、JーLIT研究では、年間千人当たりの総死亡率は220~239mg/dlで最低であり、200~259mg/dlの範囲で、死亡相対危険度では変わりはありません。
死亡相対危険度が増すのは、260mg/dl以上からなのです。
逆に、血中総コレステロール値が200mg/dl以下で死亡危険度は増し、180mg/dl以下になると最低の相対危険度を示した220~239md/dl比して2.7倍も増したのです。
ガン死は、2.5倍も増えたのです。
肝心の心筋梗塞梗塞死は血中総コレステロール値が200~240mg/dlでは、有意差のあるような増減は認められてませんでした。
こうした傾向は、本日の楽天ブログで取り上げましたNIPPON研究を始めとする国内各地域での調査でも認められています。
以上より、ガン、心臓病も含めた総死亡率から判断すると、血中コレステロール値の高値による危険は260mg/dl以上となると判ります。
一方、低値の血中コレステロール値の危険は、200md/dl以下で、取り分け、180mg/dl以下では有意の危険だと明らかです。
既に、Dr.BEAUT・ソフィーリッチの 「低コレ & ローコレ日記」に取り上げましたように我が国の低コレステロールを示す人達の示す%は、高コレステロールを示す人達の示す%よりハルカニ多いのです。
(楽天ブログ、ミクシに「低コレステロール血症の原因となる疾患・・2」を書いています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに「高コレステロール治療ガイドライン・・2」を書いています)
Tuesday, May 15, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・3
診療指針から削除されたか・・2・・
血中コレステロール値と死亡率
血中総コレステロール値については、現在、我が国では、事実誤認に基づくと言える国民的な“高コレステロール恐怖症”と言って良い状況にあります。
我が国の心筋梗塞による死亡は、欧米に比して、1/2~1/10に過ぎません。
それなのに、“赤ワインは心臓病に良い”とフランスのように5倍ほど多いような国のワイン販売商法のキャッチコピィーといってよいような言葉に群がって、 “アルコールを飲む口実”として利用されているように思えてきます。
現在、日本人の心疾患の死亡率は1970年以後に入って低下傾向にあります。
脳血管疾患は1965年前後にかけてピークとなり、その後は急速に減り、今日でも低下傾向となっています。
一方、日本人の食生活は西欧化が進んで、1946年(昭和21年)から2004年(平成16年)にかけての58年間で、脂質摂取量は、14.7グラムから54.1グラムに増えています(3.7倍)。
国民的な総コレステロール値についての調査は、1997年(平成9年)から2004年(平成16年)にかけて報告されています。
男性の平均では、198.6mg/dlから、199.1mg/dl 。
女性の平均では、205.1mg/dlから207.1mg/dl。
つまり、特別に高コレステロール血症の人は増加しているとはいえません。
また、血中総コレステロール値が、欧米の正常範囲を超える240mg/dl以上の推移では、男性では1997年が10.5%、2004年では12.1%です。
女性では、1997年が17.4%、2004年では17.8%でした。
以上の事実は、脂質摂取量の増加が、心疾患死を増やしているとは言えず、血中コレステロール値は、十分な期間のデータとはいえませんが、変わっているとはいえません。
一日のコレステロール必要量の内、食物から摂取する依存は20%に過ぎませんから、脂質摂取量はほとんど影響しないのも当然です。
(楽天ブログ、ミクシに「低コレステロール血症の原因となる疾患・・1」を書いています)
(Dr.BEAUT・ソフィーリッチに「高コレステロール治療ガイドライン・・1」を書いています)
Tuesday, May 08, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・2
何故に、高脂血症の病名は消え、
血中コレステロール値は診療指針から削除されたか・・1
アメリカの国立心臓血管研究所によるアメリカ国民の36万人を越える人達を対象とした疫学研究MRFIT(Multiple Risk Factor Intervention Trial)(1986年に論文発表)によって、血中コレステロール値が192mg/dl以下で、ガン死、脳出血、感染症、外傷その他による死亡が増すとの事実は報告されていました。
そして、我が国でも、そうした疫学的事実は研究され、発表されていました。
しかし、“高コレステロール病”の前に、そうした「低コレステロールの危険」と言う事実は、あまり、周知されることなく、今日に至っているとも言えます。
それでも、今回、日本動脈硬化学会も、改めざる負えなくなったというのが現実ですが、マダマダ、“高コレステロール神話”は、あまり、積極的に改めようとの姿勢が乏しいのが現実です。
我が国の日本動脈硬化学会は、既に、1997年に定められた「高脂血症診断ガイドライン」を改定して、「動脈硬化性疾患診断ガイドライン2002年版」を発表しています。
そこで、既に、血中コレステロール値の基準は定め難く、コレステロール値は参考値に過ぎなくなっていました。
あまり、目立つような周知が為されていませんでした。
そして、今日でも、国民的な“高コレステロール恐怖症”は続いていると言えます。
しかしながら、国民病的に“高コレステロール病”恐怖症が流布しているにしては、今回の病名“高脂血症”が改名され、「脂質異常症」となり、診療基準は改められ、“コレステロール値”が排除されるようなドラスチックな変化にしては、静かな情報発信となっているのが現状と思います。
今回の動脈硬化学会の変化は、一つには、コレステロールと動脈硬化との関係が、血中コレステロール値で語れるほど単純ではなくなったことが、先ず、上げられます。
もう一つは、2002年に発表された我が国のJ-LIT(Japan Lipid Intervention Trial)と呼ぶ我が国、日本での全国5万人以上の“高脂血症患者(血中コレステロール値220mg/dl以上の患者)”を6年間に渡って、スタチン系コレステロール低下薬の効用を追跡した試験で、低コレステロールに伴なった心筋梗塞死の増加のみならず、ガン死、脳出血死、感染症死、自殺・事故死などが増加して、総死亡率が2.7倍ほど増えてしまったとの結果にあると思います。
ツズケテ、J-LIT研究や動脈硬化の病態について取り上げたいと思います。
(楽天ブログ「低コレステロールを上げる元祖」 、Dr.BEAUT・ソフィーリッチのブログ「低コレ & ローコレ日記」に関連内容を取り上げています)
Monday, May 07, 2007
低コレステロールを補うニードに答える・・1
高コレステロールより低コレステロールが怖い
我が国では、国民的な“高コレステロール”恐怖症といって良いぐらいの状況にあります。
そして、治療薬や医薬品のみならず、血中コレステロール値を下げることを売り物とする特保商品、サプリメントや健康食品などの百花繚乱状態に在ると言えます。
しかしながら、“高コレステロール病”の代名詞と言って良いような、長年用いられてきた病名・「高脂血症」は、この4月25日の日本動脈硬化学会によって消滅、改名して、新たに「脂質異常症」と言う病名の誕生となりました。
そして、新たな診断指針が設定されました。
今度は、その診療指針から、血中コレステロール値は削除されてしまったのです。
つまり、コレステロール値の診断、治療としての意味を失ってしまったのです。
そうなると、血中コレステロールを下げる意味や条件は、どうなるかとなります。
同じ、動脈硬化性疾患をターゲットとするメタボリックシンドローム(メタボリック症候群、代謝症候群)の診断基準には、始めから、血中コレステロール値が含まれていない事実を考えれば、コレステロール値が有効な検査値でないことは、当然ともいえます。
高コレステロール値が問題となるのは、家族性高コレステロール血症などの特別の病気に限られたのです。
楽天ブログ「低コレステロールを上げる元祖」などに、既に、取り上げていますように、高コレステロール血症で、動脈硬化性疾患死のみならず、ガン、脳出血、感染症、事故・自殺死など全ての死亡原因を含めた死亡者数が上がるのは、血中コレステロール値が280mg/dl以上になってからなのです。
しかし、血中コレステロール値が180mg/dl以下の低コレステロールによる死亡者数の方が多いのが現実です。
私たちの生命維持に、コレステロールは必要不可欠の成分なのです。
動脈硬化予防には、単純な血中コレステロール値だけでは何ともならない新事実が明らかになって来ました。
今や、新たな初期の動脈硬化発生過程での予防対策が求められるのです。
メタボリックシンドロームについては、Dr.BEAUT・ソフィーリッチの「低コレ & ローコレ日記」の前のブログで取り上げてきましたので、興味のある人は参考にして下さい。
ここでは、低コレステロールを改善する必要性を「俯瞰」的に取り上げたいと思います。
(楽天ブログ「低コレステロールを上げる元祖」 、Dr.BEAUT・ソフィーリッチのブログ 「低コレ & ローコレ日記」に関連内容を取り上げています)
Sunday, May 06, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・6
中国・南宋禅の元祖となっている六祖慧能を取り上げていました。
慧能は、文字の読み書きも出来ませんでしたが、仲間に書いてもらった「詩」によって六祖となったことで知られた禅宗の再興僧です。
浄土宗祖の法然上人とその影響を受けた一休宗純の浄・禅兼帯の生活文化思想の背景となっているのが、慧能の「頓悟直路」、「見性成仏」だったと私は思っています。
クマラジュウの「煩悩是道場」、「直心是道場」の思想は、「五欲煩悩」にあって「この市中こそ道場とならざるはなし」とつながります。
番組にあって、「自分を見つめる心(soul)、人による心」を説き、慧能の言葉として、「外から見える形にこだわると、たちまち、心が乱れる」とありました。
達磨禅以来150年を経ての慧能による「形にこだわるな」の禅の変法となりました。
また、「書くことによって、心を空にする」大切さを説きました。
農作業、掃除など何でもよいのです。
私は、オタピー茶の湯としては、且坐喫茶によって「形にこだわることなく」、「天と地の界にしっかりと坐す」れば、「本来無一物」の「心」からの「俯瞰」の境地となるのです。
オタピー茶の湯では、日常茶飯の生活の場にあっての「市中の山居」での「俯瞰」は「直心是道場」での「頓悟直路」の「心」に入るのです。
日常茶飯にあっての「心と体の共鳴」なのです。
その上で、「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかし」が求められるのです。
Saturday, May 05, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・5
私にとって、喫茶、茶の湯の時が、俯瞰思考に最適なのです。
ポルトガルの宣教師・ロドリゲスが、日本教会史に、茶室を「市中の山居」と記しています。
私は、実に、当を得た表現だと思います。
江戸初期の時代の茶室の持つ意味について、外国人による優れた観察眼と、私は、茶の湯も含めて、喫茶の場は、「市中の山居」と言いたいのです。
それ故に、オタピー茶の湯としては、喫茶の場が「市中の山居」感を持つことを必要条件としています。
「市中の山居」と言う表現には、西行法師的な隠遁の庵とは異なった意味が込められています。
人里離れた隠遁の場ではなく、日常茶飯の個人的及び仕事も含めた社会的な生活環境の場に在っての表現として、「市中の山居」があるのです。
つまりは、日常茶飯の社会生活をしながら、「市中の山居」で、「隠遁の庵」の境地に入ることが出来るのです。
「市中の山居」で、オタピー茶の湯的喫茶、茶の湯の所作に勤しみながら「俯瞰思考」に誘導されていくのです。
その場が、「主客同坐」であれ、「独坐観念」感を持って、「俯瞰思考」に基づく「直心の会話」が楽しめたら、最高のオタピー茶の湯の在りようとなります。
六租慧能の禅の境地と共通する心と思います。
慧能禅師の心は、マサニ、オタピー茶の湯の心に通じているのです。
Friday, May 04, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・4
喫茶文化は、まず、嵯峨天皇による漢文化志向、嗜好に始まり、栄西以後の鎌倉を経て、室町期になると次第に和文化の独自性が発揮されだしたと思います。
南北朝の混乱を治めた室町幕府三代将軍・足利義満は、時を同じくして始まった明との貿易によって、今日の茶の湯の名物や美術品のコレクションを行っていますが、和の文化の創生者でもあります。
義満はPOP-Kitsch-サブカルチャーと言える和文化をハイカルチャーに高めています。
身分的に低かった人達の申楽を能楽として、今日の日本を代表する文化に育成しています。
世阿弥の優れた感性を育て上げ、歴史上の人物としました。
その世阿弥は「風姿花伝」を始めとしてシェィクスピアより早い芸術論や戯曲を書き上げています。
平安期の紫式部の長編小説「源氏物語」と共に、世阿弥の芸術論「風姿花伝」は、世界で最初の文化なのです。
これまた世界で始めての源氏物語絵巻は、俯瞰的鳥瞰図となっています。
一方の有名な世阿弥の芸論「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」は、斉藤孝が「声に出して読みたい日本語」に記していますように、「ただ演技をするのではなく、演技している自分を離れたところから見つめるもう一人の自分を意識のなかにもつこと」、世阿弥の言葉を借りれば「離見の見」が必要なのです。
つまりは、「俯瞰思考」が求められているのです。
「俯瞰思考」は、和歌、連歌を取り込んで発展した日常茶飯の生活文化・茶の湯にあっても引き継がれています。
POP-Kitschーサブカルチャーとハイカルチャーとの界を紛らかす文化は、「俯瞰思考」が必要条件となると判ります。
Thursday, May 03, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・3
「志」、「創意」、「俯瞰」を基本として、「負の思想」、「マイナス思考」をします。
「負の思想」、「マイナス思考」は、日常茶飯にあって、表に現れた表面的なことに囚われることなく、その背景にある普遍性に通じた物事を大切にするのです。
「負の思考」、「マイナス思考」は、赤瀬川原平の「芸術原論」、「千利休 無言の前衛」に、「普遍性」思考は、谷川徹三の「日本人のこころ」にあります。
「俯瞰」的な見方、思考は、日本の伝統思考だと思います。
平安末期から鎌倉期にかけての絵巻物から俯瞰図を基本とします。
同時代に始まるマンガ、アニメの元祖・鳥獣戯画では俯瞰的というよりは、「負の思想」で描かれ、必要最小限の運筆線描となっています。
つまりは、既成概念に囚われることなく、普遍性に通じた創意と志を高く持って日常茶飯を過ごし、俯瞰的な客観化視点を忘れず、自己反省も忘れないのです。
Wednesday, May 02, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・2
私の「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーの界を紛らかす」の源泉とする心です。
古市播磨は、奈良地域の豪族の一門で、林間茶の湯と呼ばれる一族や仲間内が集まって宴会的なモテナシとして楽しんでいたグループの人です。
当時は、既存の唐物尊重から、和物の価値観を認識し始めた時代といえます。
能の金春禅竹を始めとした人達によって、備前焼などの和の焼き物への評価を認識し始めたのです。
当時、連歌や和歌の世界との紛らかしが、和漢の世界との紛らかしを促進させたと言えます。
その代表が、連歌、和歌を導入した武野紹鷗です。
侘びに続く寂びの心も加わったと言えます。
そして、茶の湯の完成者として、千利休の登場となったのです。
利休は、渡来した南蛮文化、キリスト文化での様式を茶の湯の所作、様式に導入しています。
つまり、「和漢洋の界を紛らかし」を行ったのです。
その茶の湯の原型は、元禄時代に始まり、今日に続く家元制によって維持、継続、保存されたと言ってよいでしょう。
以上より、茶の湯文化が如何に進展する社会、文化を取り入れながら発展してきたかが判ります。
今日的なグローバル文化社会にあっては、グローカル文化は、「多様な文化との界の紛らかし」となる必然性があります。
取り分け、茶の湯文化は、日常茶飯の生活文化ですから、「ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかす」ことが大切だとなります。
Tuesday, May 01, 2007
オタピー茶の湯(OTAPYCYANOYU)・・1
喫茶文化は、中国・唐の文化として遣唐使たちによって持ち込まれ、平安朝の嵯峨天皇の時代に繁栄を見たのですが、その後、我が国では、鎌倉末期に栄西が宋から抹茶が持ち込まれたことによって、新しい展開を見ました。
禅宗や仏教との関係として、修行としての振る舞いに取り込まれ、庶民への健康性や栄養性をもった施茶、一服一銭としての喫茶が商売としての一面も持って発展をしました。
しかし、鎌倉から室町幕府に変転する時代に、バサラ大名の佐々木道誉を代表に美術的、習俗的取り込みが成されたといえます。
それ故に、足利尊氏は「武家諸法度」で、茶の湯の集まりを禁止しています。
室町時代になると将軍様たちが中国貿易としての付加価値のついた美術品や工芸品を輸入して、御殿で喫茶文化を美術品鑑賞と絡ませて発展させたと言えます。
足利義政が東山文化として、今日のグローカル性ある日本文化の源泉と言って良い発展の礎を追及したと私は思います。
しかし、応仁の乱によって、世は乱れましたが、一休宗純ら知識、教養人が地方に散って、新しい文化の芽となったと言えます。
今日の京田辺にある一休寺と呼ばれる酬恩庵が文化サロンとしての代表で、今日的に言えば、文化創造の地であったと思います。
侘びの茶も、そのサロンに参加していたであろう村田珠光に始まるのです。
ここまでの概観によっても、如何に茶の湯が、ハイカルチャーとPOP-Kitschーサブカルチャーとの界を紛らかしながら発展してきたかが判ります。
Tuesday, September 05, 2006
The Way of OTAPY CYANOYU。 オタピー茶の湯を考える
Web 2.0 are going to change the daily human communication Way; Web 2.0 は人間のコミュニケーション様式を変えようとしています。
Japanese traditional way of tea is the human communication culture to get together with contacting each others.
日本の伝統文化である茶の湯は人々が直接接しながらコミニケーションを取る文化です。
Yet,the present day, IT are changing the daily communication way drastically.
しかしながら、近年のITは、日常のコミュニケーションの在り様を著しく変えようとしています。
The way of Tea is the artistic and sophyisticated cultivated way of daily life .
茶の湯は、芸術的で、洗練された日常茶飯の様式と言えます。
Considering the generation of the accomplishment of the way of tea, the circumstance of our daily life is drasicall changed.
茶の湯文化が成立した時代を考えると生活環境は著しく変わってしまいました。
The facts enforce us to find out the present and future way of human communication through the getting together to drink tea, which are not necesary limitting to drink traditional maccha.
それ故に、現代、未来を見据えた人間のコミュニケーションの方法として、伝統的な抹茶に限定することなく一緒になって集う文化が求められていると思います。
The most important cultural bases are consider about the evaluation of art and philosophy.
最も大切にするものに,芸術や哲学の価値観にあります。
Now,we have to consider and discuss about the evaluable definition of high art,sub-culture , and POP culture.
今や、私どもは、ハイアートとはを、サブカルチャーやPOPカルチャーを含めて考えなければなりません。
We have to search to enjoy the evaluatin and inducing of the present POP OTAKU, we call OTAPY,culture to our OTAPY CHANOYU with direct and Web 2.0 comunication cultures.
私どもは、POPオタク、つまり、POPオタピーを評価し、導入をオタピー茶の湯として、直接的やWeb 2.0時代のコミュニケーション文化として楽しみながら研究する必要があると思うのです。
Friday, October 21, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.116
One only, the nearest and dearest, is requested to remain and witness the end.
Rikiu then removes his tea-gown and carefully folds it upon the mat, thereby disclosing the immaculate white death robe which it had hitherto cocealed.
Tenderly he gazes on the shining blade of the fatal dagger, and in exquisite verse thus addresses it:
" Welcome to three,
O sword of Eternity !
Through Buddha
And Through Dharuma Alike
Thou Hast Cleft Thy Way."
With a smile upon his face Rikiu passed forth into the unknown.』
(From The Book of Tea; Tea-Masters, p.116, Chales E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Thursday, October 20, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.115
Mournfully at the appointed time the guests met at the portio.
As they look into the garden path the trees seem to shudder, and in the rustling of their leaves are heard the whispers of homeless ghosts.
Like solemn sentinels before the gates of Hades stand the grey stone lanterns.
A wave of rare incense is wafted from the tea-room; it is the summons which bids the guests to enter.
One by one they advance and take their places.
In the tokonoma hangs a kakemono,-a wonderful writing by an ancient monk dealing with the evanescence of all earthly things.
The singing kettle, as it boils over the brazier, sounds like some cicada pouring forth his woes to departing summer.
Soon the host enters the room.
Each in turn is served with tea, and each in turn silently drains his cup, the host last of all.
According to established etiquette, the chief gust now asks permission to examine the tea-equipage.
Rikiu places the various articles before them with the kakemono.
After all have expressed admiration of their beauty, Rikiu presents one of them to each of the assembled company as a souvenir.
The bowl alone he keeps.
"Never again shall this cup, polluted by the lips of misfortune, be used by man."
He speaks, and breaks the vessel into fragments.』
(From the Book of the Tea; Tea-Masters, p.11 Book of the Tea; Tea-Masters, p.114-115, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Tuesday, October 18, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.-114
The last moments of great tea-masters were as full of exquisite refinement as had been their lives.
Seeking always to be in harmony with the great rhythm of the universe, they were ever prepared to enter the unknown.
The "Last Tea of Rikiu" will stand forth forever as the acme of tragic grandeur.
Long had been the friendship between Rikiu and the Taiko-Hideyoshi,
and high the estimation in which the great warrior held the tea-master.
But the friendship of a despot is ever a dangerous honour.
It was an age rife with treachery, and men trusted not even their nearest kin.
Rikiu was no servile courtier, and often dared to differ in argument with his fierce patron.
Taking advantage of coldness which had for some time existed between the Taiko and Rikiu, the enemies of the latter accused him of being implicated in a conspiracy to poison the deposit.
It was whispered to Hideyoshi that the fatal potion was to be administered to him with a cup of the green beverage prepared by the tea-master.
With Hideyoshi suspicion was sufficient ground for instant execution, and there was no appeal from the will of the angry ruler.
One privilege alone was granted to the condemned-the honour of dying by his own hand.』
(From the Book of Tea; Tea-Masters,p.113-114 , Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Monday, October 17, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.113
We stagger in the attempt to keep our moral equilibrium, and see forerunners of the tempest in every cloud that floats on the horizon.
Yet there is joy and beauty in the roll of the billows as they sweep outward toward eternity.
Why not enter into their spirit, or, loke Liehtse, ride upon the hurricane itself?』
(From the Book of Tea; Tea-Masters, p.113, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Sunday, October 16, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.112
Not only in the usages of polite society, but also in the arrangement of all our domestic details, do we feel the presence of the tea-masters.
Many of our delicate dishes, as well as way of serving food, are their inventions.
They have taught us to dress only in garments of sober colours.
They have instructed us the beaty of humanity.
In fact, through their teachings tea has entered the life of the people.』
(From the Book of Tea; Teqa-Masters, p.112, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont,Tokyo, Japan)
Sunday, August 21, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.111
They completely revolutionised the classical architecture and interior decorations, and established the new style which we have described in the chapter of the tea-room, a style to whose influence even the palaces and monasteries built after the sixteenth century have all been subject.
The many-sided Kobori-Enshiu has left notable examples of his genius in the Imperial villa of Katsura, the castles of Nagoya and Nijo, and the monastery of Kohoan.
All the celebrated gardens of Japan were laid out by the tea-masters.
Our pottery would probably never have attained its high quority of excellence if the tea-masters had not lent to it their inspiration, the manufacture of the utensils used in the tea-ceremony calling forth the utmost expenditure of ingenuity on the part of our ceramists.
The Seven Kilns of Enshiu are well known to all students of Japanese pottery.
Many of our textile fabrics bear the names of tea-masters who conceived their colour or design.
It is impossible, indeed, to find any department of art in which the tea-masters have not left marks of their genius.
In painting and lacquer it seems almost superfluous to mention the immense sevice they have rendered.
One of the greatest schools of painting owes its origin to the tea-master Honnami-Koyetsu, famed also as a lacqer arist and potter.
Beside his works, the splendid creation of his grandson, Koho, and of his grand-nephews, Korin and Kenzan, almost fall into the shade.
The whole Korin school, as it is generally designated, is an expression of Teaism.
In the broad lines of this school we seem to find the vitality of nature herself. 』
(From the Book of Tea-Tea-Masters、p.110-112, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
The way of Tea is the culture of daily life.
It's mean how we enjoy our daily life includings philosophy and arts.
To enjoy the human life, we need house, foods and related goods and like to enjoy all kinds of arts .
We also ask to enjoy the nature collaborating to resonace with human being.
Friday, August 12, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.110

In the religion the Future is behind us.
In art the Present is the eternal.
The tea-master held that real appreciation of art is only possible to those who make of it a living influence.
Thus they sought to regulate their daily life by the high standard of refinement which obtained in the tea-room.
In all circumstances serenity of mind should be maintained, and covesation should be so conducted as never to mar the harmony of the surroundings.
The cut and colour of the dress, the poise of the body, and the manner of walking could all be made expressions of artistic personality.
These were matters not to be lightly ignored, for until one has made himself beautiful he has no right to approach beauty.
Thus the tea-master stove to be something more than the artist, -art itself.
It was the Zen of aestheticism.
Perfection is everywhere if we only choose to recognise it.
Rikiu loved to quote an old poem which says: " To those who long only for flowers, fain would I show the full-blown spring which abides in the toiling buds of snow-covered hills. "
』
(From the Book of Tea-Tea-masters, p.109-110, Charles E. Tuttles Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Finaly, we are now final session.
We learn how Tea-masters contribute to not only for tea-ceremony.
We have to realize " It's not only to Art, but to The total way of life.
Let's learn the Eternal way of Artistic life through the way of tea-drinking.
Image Designer: Izumi Mori
Monday, August 01, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.109

We shall recount but one more.
In the sixteenth century the morning-glory was as yet a rare plant with us.
Rikuiu had an entire garden planted with it, which he cultivated with assiduous care.
The fame of his convolvuli reached the ear of the Taiko, and he expressed a desire to see them, in cosequence of which Rikiu invited him to a morning tea at his house.
On the appointed day the Taiko walked through the garden, but nowhere could he see any vesige of the convolvulus.
The ground had been leveled and strewn with fine pebbles and sand.
With sullen anger the despot entered the tea-room, but a sight waited him there which completely restored his humour.
On the tokonoma,in a rare bronze of Sung workmanship, in a single morning-glory----the queen of the whole garden!
In such instances we see the full significance of the Flower Sacrifice.
Perhaps the flowers appreciated the full significance of it.
They are not cowards, like men.
Some flowers glory in death-certainly the Japanese cherry blossomes do, as they freely surrender themselves to the winds.
Anyone who has stood before the fragrant avalanche at Toshino or Arasyhiyama must have realised this.
For a moment they hover like bejewelled clouds and dance above the crystal streams; then, as they sail away on the laughing waters, they seem to say: " Farewell, O Spring! We are on to Eternity."』
(From The Book of Tea-Flowers, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
This is the last part of the " Flowers".
To me , it's very difficult to understand about the Flower arrangements.
Do you agree to "The Full Significance of The Flower Sacrifice" !!
Thursday, July 28, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.108

『 Our personal sympathies are with the flower-arrangements of the tea-master rather than with those of the flower-master.
The fomer is art in its proper setting and appeals to us on account of its true intimacy with life.
We should like to call this school the Natural in contradiction to the Natural-esque and Formalistic schools.
The tea-master deems his duty ended with the selection of the flowers, and leaves them to tell their own story.
Entering a tea-room in late winter, you may see a slender spray of wild cherries in combination with budding camellia; it is an echo of departing winter coupled with the prophecy of spring.
Again, if you go into a noon-tea on some irritatinly hot summer day, you may discover in the darkended coolness of the tokonoma a single lily in a hanging vase; dripping with dew, it seems to smile at the foolishness of life.
A sole of flowers is interesting, but in a concerto with painting and sculpture the combination becomes entrancing.
Sekishiu once placed some water-plants in a flat receptacle to suggest the vegetation of lakes and marshes, and on the wall above he hung a painting by Soami of wild ducks flying in the air.
Shohs, another tea-master, combined a poem on the Beauty of Solitude by the Sea with a bronze incense burner in the form of the beath.
One of the guests has recorded that he felt in the whole composition the breath of waning autumn. 』
(The Book of Tea-Flowers, pp.105-106, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
The natural is the best Artistic expression itself.
Image Designer: Izumi Mori
Thursday, July 21, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.107
We find them referring to the Leading Principle(Heaven), the Subordinate Principle(Earth), the Reconciling Principle(Man), and any flower arrangement which did not embody these principles was considered barren and dead.
They also dwelt much on the importance of treating a flower in its three different aspects, the Formal, the Semi-Formal, and the Formal.
The first might be said to repressent flowers in the stately costume of the ballroom, the second in the easy elegance of afternoon dress, the third in the charming deshabille of the boudoir.』
(The Book of Tea-FLower, pp.104-105,Chales E. Tuttle, Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
Monday, July 18, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.106

『 The adoration of the flower for its own sake begins with the rise of "Flower-Master," toward the middle of the seventeenth century.
It now becomes independent of the tea-room and knows no law save that the vase imposes on it.
New conceptions and methods of execution now become possible, and many were the principles and schools resulting therefrom.
A writer in the middle of the last century said he could count over one hundred different schhools of flower arrangement.
Brosdly speaking, these divided themselves into two main branches, the Formalistic and the Naturalesque.
The Formalistic schools, led by the Ikenobos, aimed at a classic idealism correspomding to that of the Kano-academicians.
We possess records of arrangements by the early masters of this school which almost reproduce the flower painting of Sansetsu and Tsunenobu.
The Naturalesque school, on the other hands, as its name implies, accepted nature as its model, only imposing such modificatins of form as conduced to the expression of artistic unity.
Thus we recognise in its works the same impulses which formed the Ukiyoe and Shijo schools of painting.』
(From the Book of Tea-Flowers, Chales E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
It is interesting to know that the principles of schools and/or parties of the Flower arrangements are closely relating to the principles of Japanese-paintings.
Image Designer: Izumi Mori
Saturday, July 16, 2005
The Glocal Book:"The Book of Tea" by Okakura Kakuzou(Tenshin)-No.105
『The birth of the Art of Flower Arrangement seems to be simultaneous with that of Teaism in the fifteenth century.Our legends ascribe the first flower arrangement to those early Buddist saints who gathered the flowers strewn by the storm and, in their infinite solicitude for all living things, placed them in vessels of water.
It is said that Soami, the great painter and connoisseur of the cout of Ashikaga-Yoshimasa, was one of the earliest adepts at it.
Juko, the tea-master, was one of his pupils, as was also Senno, the founder of the house of Ikenobo, a family as illustrious in the annals of flowers as was that of the Kanos in painting.
With the perfecting of the tea-ritual under Rikiu, in the latter part of the sixteenth century, flower arrangement also attains its full growth.
Rikiu and his successors, the celerated Oda-Wuraku, Furuta-Oribe, Koyetsu, Kobori-Enshiu, Katagiri-Sekishiu, vied with each other in forming new combinations.
We must remember, however, that the flower worship of the tea-master formed only a part of their aesthetic ritual, and was not a distinct religion by itseff.
A flower arrangement, like the other works of art in the tea-room, was subordinated to the total scheme of decoration.
Thus Sekishiu ordained that white plum blossoms should not be made use of when snow lay in the garden.
"Noisy" flowers were relentlessly banished from the tea-room.
A flower arrangement by a tea-master loses its significance if removed from the palace for which it was originally intended, for its lines and proportions have specislly worked out with a view to its surroundings. 』
(From the Book of Tea-Flowers, pp.101-103, Charles E. Tuttle Co., Rutland, Vermont, Tokyo, Japan)
This section tells us about the history of the art of flower arrangement.
We now understand the flower arrangement in teaism has the different meanings from the flower arrangements in general means.